ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

磯田道史『武士の家計簿』新潮新書

この本は、江戸末期から明治初頭の37年間に渡る加賀藩の武士猪山家の家計簿を用いた非常に興味深い研究です。この武士の家は、加賀藩の御算用者、つまり会計を司っていた家だったので、非常に綿密な家計簿が作られたのだそうです。

著者は、それまでこのような史料にはお目に掛かったことがないと書いていましたが、このような凄い史料を見つけるとは、何とも羨ましい限りだと思います。近世ドイツでも、このような詳細な家計簿は残っているのでしょうか。ミュンスターでは、15世紀末の市の会計記録は残っていますが(最近刊行されたばかり)、個人となると、どうでしょうか。

この本では、家計簿から分かる猪山家の家計や動きを追っていくのですが、時折、ミクロの視点からマクロの視点に話が移り、興味深い指摘が行われます。

猪山家は、元々加賀前田家でなく、その配下の千石取りの武士の部下だったのが、御算用者として前田家の直参に加わり、出世したそうです。算術は、個人の能力に左右されるので、洋の東西を問わず、算術に関わる職である、会計係や軍の砲兵将校、工兵、地図作製の幕僚などは、身分制社会でも例外的に身分や世襲ではなく、個人の能力で出世できたとのことです。

江戸時代の武士は、領地を与えられたとしても、年貢を自分で取り立てるわけでは無く、藩の官僚がほとんどの仕事を肩代わりしてくれて、藩から年貢米を受け取るだけだったそうです。そのため、彼らは、自分の領地にリアリティーを持てず、明治時代に彼らから領主権が剥奪されるときに、特に反抗もなかったのではないかと著者は推測しています。

猪山家は、年収の二倍という多額の借金を負っていたそうですが、これは当時の武士には普通のことだったそうです。猪山家は、町人、農民だけでなく、親戚からもかなり借金を多く、当時は親戚同士で借金をすることが多かったそうです。また、親戚との交際費に多額のお金を使っており、親戚同士の関係は密接だったそうです。

著者は、猪山家が多額の借金を負わざるを得なかったのは、武士として体面を保つための身分費用、つまり家来給銀と食費、祝儀交際費、儀礼行事入用、寺社祭祀費が重くのしかかっていたからだと分析します。そして、明治期に、武士が特権剥奪に余り抵抗しなかったのは、すでに身分費用と身分収入を天秤に掛けて、割が合わなくなっていたからではないかと指摘しています。

また、このように武士が身分的には一番上でも、経済的には商人や農民よりも困窮していたことが、身分による不満や羨望を押さえ、江戸時代の平和を長続きさせたのではないかと考えています。

また、武家女性は結婚しても実家との繋がりが強く、夫と妻の財産も別々だったそうです。猪山家でも、夫が妻から、利子無しではあっても、借金をしていたそうです。これは、江戸時代では、離婚が多く、結婚が長続きしなかったからだそうです。速水氏の本にも書いてありましたが、江戸時代は、凄く離婚が多かったんですね。

とにかく、非常に面白い研究なのですが、多分、この史料は、著者が使った以外にも、様々な使い方ができるだろうと思います。