ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

尾田栄一郎『ONE PIECE vol. 41』

ONE PIECE 41 (ジャンプ・コミックス)

ONE PIECE 41 (ジャンプ・コミックス)

日本に帰って読みたい漫画と言えば、やはり筆頭は『ONE PIECE』ということで、帰ってきてすぐに未読巻を全て読んだのでした。そして、いよいよ四十一巻で、クロコダイル編の前から引っ張りに引っ張ったニコ・ロビンの過去が明らかになると言うことで、思わず単行本を買ってしまいました。

この巻では、「オハラ」と呼ばれる世界中の考古学者、歴史学者の総本山のような島が舞台になっています。つまり、テーマはずばり歴史を学ぶ重要性とは何かです。ということで、歴史学徒には大変燃える展開となっています。

「オハラ」では、失われた空白の歴史を再現すべく研究が進められていきますが、その時に世界政府に都合の悪い歴史が隠されていることに気が付きます。そのため、世界政府によって滅ばされてしまいます。このように、この漫画では、歴史的事実の隠蔽を、絶対的な悪だと描いています。

政府にとって都合の悪い歴史を隠蔽しようという動きは、現実世界でも良くあることだろうと思います。どこの国でも、余り名誉とは言えない歴史を持っていますし、政府の正当性や国家のアイデンティティーを守るために、ある歴史的事実を触れないようにしようという雰囲気が漂うことも、ままあるだろうかと思います。その意味では、この巻では、歴史修正主義批判を行っているとも解釈が出来ます。

さて、何故『ONE PIECE』で、そのような歴史的事実の隠蔽が糾弾されるかというと、次のような理由によります。

先ずは「オハラ」のクローバー博士の主張です。

過去がどうあれ それが人間の作った歴史ならば
全てを受け入れるべきじゃ!
恐れず全てを知れば 何が起きても対策が打てる

次にニコ・シルビアの主張です。

"歴史"は・・・人の財産
あなた達がこれから生きる未来を きっと照らしてくれる
だけど過去から受け取った歴史は
次の時代へ引き渡さなくちゃ消えていくの
「オハラ」は 歴史を暴きたいんじゃない
過去の声を受け止めて 守りたかっただけ・・・・!!
私達の研究は ここで終わりになるけど
たとえこの「オハラ」が滅びても
あなたたちの生きる未来を!! 私たちが諦めるわけにはいかない!!!

つまり、過去の出来事から学び、現在の行動の参考、指針にするために歴史を知らなければならないと主張しています。これは、歴史を学ぶ意義についての非常に一般的な考え方だと思います。

また、この考え方の背景にあるのは、歴史の中で人間が行うことには、何らかの法則性があり、その法則性を明らかにすることによって、ある行動によって引き起こされる帰結が、高い確度で推測できるという考え方だろうと思います。

ただ実際に歴史を学ぶことが、未来予測に役立つかというと、ワウデ先生のような賛成派もいらっしゃるようですが、リチャード・J・エヴァンスが指摘しているように、実際にはなかなか難しいと思います。そもそも、現在の歴史学の目的は、原理的に言えば、事実を明らかにすることそのものということになるでしょうから、実作業においては、何らかの「対策」を取る際に役立つと言うことは、余り想定されないのではないでしょうか。想定しているとしても、それはその歴史家個人の信念の問題で、必ずしも一般的だとは言えないように思います。

私は良く存じないので何とも言えないのですが、何らかの対策を取るための歴史の探求は、歴史学と言うよりも、歴史学の成果を利用して、より一般的な法則性を探り、社会に直接役立てようとする、社会学政治学などの隣接した社会科学の諸分野で行われるような気がします。

ただ、おそらく、様々なタブーの多い、自由を制限された国の、特に現代史を研究している方、あるいは歴史修正主義者と戦わざるをえないテーマを扱っている方にとっては、「オハラ」の学者達の考えは、かなり共感が出来るものなのかもしれないとは思います。このような場合には、「オハラ」同様、事実の探求そのものが否応なく政治性を帯びてしまうからです。

しかし、『ONE PIECE』の中で、歴史の探究が一気に物語の中心に躍り出たのは、個人的にはなかなか燃えるなと思います。ニコ・ロビンには、同職の仲間として、ぜひご活躍願いたいと思っております。