ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

スティーブン・D・レヴィット『ヤバい経済学』


ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する


最近話題の『ヤバい経済学』を読み始めました。これは、面白いです!訳も非常にこなれていて読みやすいし、内容も眼から鱗な鋭い分析満載で、さすがアメリカでベストセラーになった(らしい)だけのことはあると感心しました。

経済学は突き詰めるとインセンティブの学問だ。つまり、人は欲しいものをどうやって手に入れるか、とくに他の人も同じものが欲しいと思っているときにどうするか、それを考えるのが経済学だ。経済学者はインセンティブが好きである。インセンティブを考えたり導入したり、研究したりいじくり回したり、どういうことを喜んでする。典型的に、経済学者はインセンティブの仕組みをうまく作れるだけの自由があれば解決できない問題はこの世に何一つないと思っている。解決策は美しくないかもしれない−弾圧やとんでもない罰によるものだったり、あるいは市民の自由を侵害するものだったりするかもしれない−が、元の問題自体は確実に解決ができる。インセンティブは銃弾であり、てこであり、鍵である。ほんのちょこっとしたことだが状況を変えてしまえる大変な力を持っている。(24頁)

このような考え方は、大竹文雄先生の『経済的思考のセンス』と共通しています。しかし、大竹先生が、インセンティブ金銭的インセンティブ非金銭的インセンティブと二分して記述していたのに対し、レヴィットはもっとクリアに分類して見せます。

インセンティブの味付けは基本的に三つある。経済的、社会的、そして道徳的の三つだインセンティブの仕組み一つが三つとも兼ね備えていることはよくある。(25頁)

つまり大竹先生の非金銭的インセンティブを、社会的インセンティブと、道徳的インセンティブに分けています。レヴィットの分類の仕方の方が、よりインセンティブの性質がはっきりしていて、使いやすいと思います。

彼がインセンティブの種類を説明するときに、面白い例を挙げています。イスラエルの保育園で、子供を迎えに来る時間に遅れてくる親を、遅刻せずに迎えに来させようと10分以上遅れたら3ドルの罰金を課したそうです。すると、罰金導入後は、なんと導入前の倍以上の親が遅れてくるようになったそうです。

レヴィットは、この原因を、罰金が安すぎて遅刻しないインセンティブとして不十分だったことだけでなく、罰金導入前に遅刻を抑制していた道徳的インセンティブ(遅れた親が感じる罪の意識)が、経済的インセンティブ(罰金)に置き換えられてしまったことに求めています。つまり、罰金を払うことで、親は遅れていくことに罪の意識を感じなくなったため、以前よりも気兼ねなく遅れていくことができるようになったわけです。

まだ、途中までしか読んでいませんが、レヴィットの研究で使われているインチキを暴き出す手法は、前近代の社会の分析では余り役に立たないでしょう。信頼する数字が、ほとんど存在しないので、数字を使った分析は、なかなか難しいからです。しかし、ある人がある行動を取った理由を、3種類のインセンティブによって説明しようとする、その切り口は、前近代社会の分析でも十分使えるだろうと思います。

もしかすると、イスラム社会などのまだ西欧ほどには世俗化していない社会でも、経済学に基づいた社会分析が行われているだろうと思うので、そのような研究は、自分の研究にもかなり参考になりそうな気がします。たとえば、世俗化されていない社会において、宗教(道徳的インセンティブに分類されるのでしょうか)が実際に人々の行動に及ぼした影響力をどのように評価すべきかを考える参考になるのではないかと思います。色々な場所、色々な条件下での研究が蓄積されていけば、インセンティブという観点から、文化やメンタリティーの差異も浮かび上がったりしてくるのでしょうか。