ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ミュンスター固有の条件とは?

ミュンスターで再洗礼派運動が成功した最大の理由は、ベルンハルト・ロートマンという卓越した神学者の存在ですが、(内田的)系譜学的に、もしミュンスターにロートマンがいなかったらどうなったか、あるいは他の都市にロートマンがいたらどうなっただろうかと考えてみることは面白いです。

そこで浮かび上がってくることは、宗教改革運動、あるいは再洗礼派運動の進行に、その都市の統治構造がどのように影響を与えるのかということだろうと思います。ミュンスターのような二極統治体制(市参事会と全ギルド会議)ではない都市において、ロートマンのような神学者宗教改革運動を成功に導き、その後成人洗礼導入に方向転換したとき、果たして何が起こるのかを考えることは、なかなかにスリリングです。

系譜学的な思考実験を、様々な条件を持つ都市の宗教改革運動の進展、あるいは失敗に基づき行ってみると、どのような条件がどのように働くかという因果関係が、案外見えてくるような気もします。

果たしてオスナブリュックでは、ゾーストでは、ドルトムントでは、ヴュルツブルクでは、ニュルンベルクでは、エムデンでは、パダボ−ンでは、再洗礼派統治が生じる可能性は存在したのか、もし存在しなかったとしたらそれはどのような要因に基づくのか、あるいはもし存在したとしたら、それはどのような要因に基づくのかを、考えてみたいなと思います。

そのためには、ミュンスターラントにおける、ヴァーレンドルフとコースフェルトの違いなども、大いに参考になるに違いありません。

また、皇帝や領邦君主との関係、地政学的位置、都市の規模、生業構造、近隣諸侯との関係、市内の統治制度、住民の一体感、宗教改革を指導する神学者、運動に参加する社会階層、その時点での政治的、外交的状況、経済状況と市民の不満、市内の宗教活動、近所づきあいや職業組合、その他非常に様々な要素について、なるべく数多くのパターンを想像することは、研究を進める上で、非常に重要なような気がします。

しかし、それを想像するためには、個々の都市、あるいは地域や領邦の固有の条件を、どれだけ数多く、なおかつ深く知ることが必要となります。想像力は、自分の知識の範囲に、明確に限定されるからです。より広く想像の翼を広げるためには、より多くの、そしてより深い知識が必要となります。想像するためにも、努力と根性と忍耐が必要ですね。