ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

統計学と確率論と集合的沸騰

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

統計学の法則が有効なのは、対象が多数あるいは長期の場合に限られており、活動の結果や出来事は、統計学的に見ると、ただ逸脱あるいは偏差としてしか現われない。統計学が存在するのは、偉業や出来事が日常生活や歴史の中ではまれにしか起こらないからである。それにもかかわらず、日常的な関係の有意味性が顕になるのは、日常生活においてではなく、まれな偉業の中においてである。したがって、歴史的時代の意味も、それが示されるのは、その時代を明るみに出すわずかな出来事においてのみである。だから、対象が多数であり、しかも長期にわたるものを対象とする法則を、政治や歴史に適用することは、政治や歴史の主題そのものを意図的に抹殺すること以外、何事も意味しない。日常的な行動や自動的な傾向以外は、すべて価値のないものとして取り除かれているのに、政治に意味を求め、歴史に重要性を発見しようとしても、うまくゆくはずはない。(66頁)

人々が多くなればなるほど、彼らはいっそう行動するように思われ、いっそう非行動に堪えられなくなるように思われるからである。統計学の面で見れば、このことは偏差がなくなり、標準化が進むことを意味する。現実においては、偉業は、行動の波を防ぎ止めるチャンスをますます失い、出来事は、その重要性、つまり歴史的時間を明らかにする能力を失うだろう。統計学的な画一性はけっして無害の科学的理想などではない。社会は型にはまった日常生活の中にとっぷりと浸かって、社会の存在そのものに固有の科学的外見と仲よく共存しているが、むしろ、統計学的な画一性とは、このような社会の隠れもない政治的理想なのである。(67頁)

上記のハンナ・アレント統計学に対する発言は、アナール派以降と言って良いのか分かりませんが、社会科学化した現代歴史学とどのように関係づけられるでしょうか。


人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

今のところまだ仮説の段階に留まっているが、最近の研究によれば、ある種の科学教育は、日常生活における種々のできごとを正しく判断するための週刊を育てるのに特に有効である可能性があるというのである。それは、「確率論的な」科学の教育である。この研究がなされた背景にある論理は、次のようなものである。日常生活の中で頻繁に起こることがらは、複雑に要因が絡み合った確率的な現象である。そこで、そうした現象を正しく評価する能力を養うためには、「決定論的な」科学を教育するよりも「確率論的な」科学を教育する方が有効である。確率論的な科学というのは、心理学や経済学のように、一般に原因とされるものが必要条件でも十分条件でもなく、そこで、完全に予期することが不可能であるような現象を研究対象とするものである。(321頁)

我々にも、非常になじみ深い考え方だと思います。歴史学でも、当然の事ながら、確率論的な考えに基づいて研究を行う場合が多々あるだろうと思います。

ウェーバーの「カリスマによる一回的立法」もデュルケームの「集合的沸騰状態における国家形成」も、<社会>の出発点に「非日常的なお祭り騒ぎ」を置く共通性があります。おもしろいと思いませんか。なぜなら「社会制度は根拠づけられない」と社会学がいっているのと同じだからです。社会制度は突然「降ってきた」ものだ、と社会学はいうんですね。
「カリスマ」や「集合的沸騰」のごときものには、制度や規範の「内容」を決する因果的な何かがあるわけじゃない。そこには「離陸→混融→着地」といったファン・ヘネップ&ヴィクター・ターナー流のイニシエーションのごとき「形式」があるだけ。「形式」を通過すれば、そのあとは現実になってしまう。ウェーバーデュルケームは、かく述べているわけです。

非日常の「混融」のあとの、日常への「着地」は、往々にして偶発的です。そこに着地すべき必然性はないんだと。それをいま「降ってきた」と表現しました。こうした思考伝統に立てば、社会学者は、伝統を擁護するにしろ、革命を擁護するにしろ、根っこのところでコミュニタス(非日常的な社会の状態)のごときカオティック(無秩序)なお祭り騒ぎを、想定していることになります。

宮台真司北田暁大『限界の思考』双風社、2005年、67-68頁


歴史の中に生じた偶発的なもの、例外的なものをどのように捉えるかということは、歴史学における論証の方法について考える際には、避けては通れない問題だと思っています。特に、多分に偶然の産物として生じ、歴史的に考えても、宗教改革初期という時代においても例外としか言いようがないミュンスター再洗礼派運動を扱う私にとっては、尚更そうだと言えます。