ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

一致モデルと対立モデル

ピーター・バークの『歴史学と社会理論』によれば、社会についてのモデルの重要な二項対立の一つに、デュルケームを代表とする一致モデルとマルクスを代表とする対立モデルがあるとのことです。(40頁) しかし、言うまでもなく、この両者は補完関係にあり、相互に排他的であるとは考えられません。

メラーの聖なる共同体としての帝国都市、ピーター・ブリックレの近世社会における共同体主義を強調する見方は、一致モデルと親和性が高いと見なすことができますが、それ故に、都市にせよ農村にせよ、当時の共同体間の階層分化を軽視し、共同体の一体性を過度に強調しすぎているという批判が生じることになります。*1

ミュンスターでは、宗教改革運動においては、ゲマインデ内での対立は顕在化しておらず、大多数の住民は宗教改革運動を支持していました。一方、ロートマンが幼児洗礼批判を始めた後は、都市住民は、カトリック派、ルター派、再洗礼派の三派に完全に分裂します。そして、ゲマインデの成員である男性の多くはルター派ゲマインデの成員ではない下層民の男性の多くはロートマン派に属するなど、ある程度階層に沿って、住民間の分裂が生じたことが確認されます。*2

では、何故宗教改革運動では階層分化が目立たなかったのに、再洗礼派運動では、階層分化が生じたのでしょうか?この問いに答えることは、極めて難しいのですが、それを考えるために、一致モデルと対立モデルをどのように止揚するかという方法を考えることは、有効なのではないかとなんとなく考えています。

たとえば、分析方法としては、全体を個々の要素に腑分けして、その個々の要素が、どのような人々に当てはまり、どのような人々に当てはまらないかを確率論的に考える。ある状況において、ある人々において、ある確率で、ある考え、あるいはある行動が導き出されるかを要素毎に判定する。そして、社会階層、あるいは社会集団間の一致と対立の利害を推定し、彼らの行動に反映されると考える。たとえば、宗教改革運動においてある社会集団に作用した要素と、作用しなかった要素、そして再洗礼派運動において、作用した要素と、作用しなかった要素を比較考量し、彼らの行動の相違を説明する。

このような推論は、歴史学者の頭の中では別のかたちでは常に行われていますが、何が問題となるかを明示し、把握しやすくすると点から言えば、列挙的な記述を行うということは、非常に有益だとも言えます。その際には、部分の合計は、必ずしも全体を意味しないとか、このような判定は恣意的にならざるをえないという問題が生じるわけですが、神ならぬ人間にとって全体性の把握は、常に恣意的であらざるを得ないということを考えれば、仕方がないと諦めるしかないようにも思います。

しかし、このようなモデル化の方法論は、社会学などの他の諸学問では、ずいぶん進んでいる部分もあると思うのですが、隣接の諸学の方法論を、きちんと把握していかなければならないと思います。と思いつつ、なかなか余裕がありません。

*1:Stefan Ehrenpreis und Ute Lotz-Heumann, Reformation und konfessionelles Zeitalter, Darmstadt, 2002, S. 32, 37,46f.

*2:実はこの記述は厳密に言えば不正確なのですが、結構面倒な手順を踏まないと説明できないので、ここでははしょります。