ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

栗原孝「比較社会変動論ノート」

以前ご紹介したピーター・バークによる社会変動に関するまとめを補足するのに適した研究です。


社会変動の単位について

何を持って社会変動と見なすかは、社会変動をどのような対象について分析するかという問いと不可分である。構造変動に着目するとしても、何について構造を見出すかによって分析は大きく異なる。変動の分析単位が次に問われる。
分析の単位は、社会学のミクロからマクロにわたる諸分析レベルに応じて、多様に設定できる。ストラッサーとランダル(1981,pp.31-33 )は、社会変動の分析レベルとして個人、相互行為、集団・組織、全体としての社会(国家)を挙げる。また富永は、分析さるべき構造的要素を社会的行為、役割、制度、集団、階層、価値、規範としている(富永1981、p.4)。これらを整理するだけでも個人、社会的行為、相互行為、役割、集団・組織、階層、全体としての社会(国家)、制度、価値、規範が単位として取り出せる。社会学における集団の概念は広い内容を持ち、家族、サークル、学校、職場、政党等々含んでいることを考えれば、多くの対象が設定されうることが分かる。
また、ミクロ、マクロのレベルではなく社会体系の領域という点から見れば、経済、政治、法、文化といった下位体系を分析的に設定し、これらを単位として経済変動、政治変動、法の変動、文化変動などを対象とすることもできる。
分析の単位は極めて多様である。だが、これら単位の分析は、それのみで充足するのではない。諸単位間の規定関係が考慮されねばならない。例えば、職場集団では企業さらに産業構造、国民経済との関係のような直接的な包含規定関係、また、家庭と会社、家庭と地域社会、家庭と学校、家庭と国家などの単位間の、関連性の強いと思われる規定関係も考慮されねばならない。また経済、政治、法、文化といった諸領域は、諸単位・レベルによって構成されているのであって、その分析は、実際には、それを構成する諸単位とその体系の分析となる。例えば文化の領域では、宗教、教育、マス・コミ等々が、それを具体的に構成する活動、集団、制度、価値、規範などについて分析されることになる。
このような規定関係に鑑みて、諸単位の変動は、最終的には全体としての社会=国家社会の構造とその変動と結び付けられる。社会変動論が、一般に、社会学の中でマクロな領域に位置付けられる所以である。1)で示した構造とその変動の理解が、マクロなレベルでのものであるのもそのためである。とはいっても、マクロなレベルでのみ社会変動が問題になるわけではない。むしろ社会学は、ミクロからマクロへの様々なレベルを対象としうるところに特長がある。さらに、マクロレベルでの変動は、ミクロレベルの変動の直接ではないが、そこで構成される変動の関係の体系として起こる。必要なのは、ミクロな単位に焦点を当てて変動を分析する場合でも、その関連枠の把握(上位レベルによる下位レベルの規定と下位レベルによる上位レベルの規定、諸単位間の相互規定)、それによる分析範囲の確定が不可欠だということである。構造論的な対象の設定は、この諸単位の規定関係を明示しようとするものなのである。
では、これら分析単位と先の深層・表層の両構造の分析視点は、どのように結び付けられるのだろうか。論理的に考えれば全体社会での両構造についての指摘が、その構成要素としての下位レベルについても指摘できる。また、特定のレベルでの独自の両構造の指摘も可能であろう。少なくとも表層構造については、特定の対象に応じて構成される必要がある。一方、深層構造については、それが論理的に構成される分析上の方法論的なカテゴリーとすれば、これも、対象のある現象に深層構造を問題としうるかぎり構成不可欠な性質のものである。つまり、諸単位についてその両構造が問われうることになる。しかし、それがどのようなものかは、個々の分析についてのみ押えられるほかない。


栗原孝「比較社会変動論ノート I」『経済学紀要』第15巻第3号 亜細亜大学経済学会,1991