ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ドーキンスの『The God Delusion』の読書ノート

id:shorebird さんが、長らく連載されていたリチャード・ドーキンスの『The God Delusion』の読書ノートがついに完結しました。ノートだけでかなり膨大な量になっています。(私がまとめたリンク

個人的に最も興味深いと思ったのは、やはりドーキンスが専門とする生物学に関わる部分です。宗教現象を進化生物学的な観点から解釈することは、人文・社会科学の研究者には困難なことです。そのため、ドーキンスが提示していたような進化生物学的な見地から提示される様々な仮説を、人文・社会科学系の宗教研究にも取り入れていくことは、今後必要になってくるはずだと、個人的には思っています。そのため、今後は、人文・社会学と進化生物学の研究者の間で、お互いの学問の知識や方法論を交換していくことも必要かと思います。

他方、彼の専門の生物学以外の記述は、読む際に気をつけながら受け取る必要があるという印象を受けました。

気を付けるべきことの一つ目は、ドーキンスが、宗教現象を学問的に解明することではなく、論争に勝ち、論争相手を打ち負かすことを目的として、この本を書いたであろうことです。基本的に(福音派?) キリスト教側の主張に対して反論をするという形式で記述が進められているようなので、論争に勝つ、言い替えれば、個人的に心理的カタルシスを得る、あるいは自分の言説の政治的・社会的影響力を増すことが目的とされているのだろうと思いました。

気を付けるべきことの二つ目は、彼が、宗教や神という概念を、一般的と言うよりは、キリスト教、しかも彼の想定しているであろう論敵のアメリカの福音派原理主義者に向けて使っているだろうということです。しかし、キリスト教の中でも考え方の違う宗派は数多くありますし、キリスト教以外にも宗教も数多く存在しています。そのため、神の概念、宗教の特質も多種多様で、そうそうひとまとめには扱えないはずです。にもかかわらず、ドーキンスは、どうもこれらの諸宗派、諸宗教の違いをほとんど考慮に入れていないように思いました。そのため、個人的には、彼が言及しているのは、ほとんどの場合アメリカという一つの国の、政治的・社会的に目立ちはするが、多数派とはいえない一部の人たちの宗教についてであって、必ずしも宗教や神一般に対する記述だとは受け取れないと思いました。

さらに、宗教の社会的有用性を検討する際に、宗教社会学による機能主義的な説明を、ほとんど参照しているようには思えなかったことも気になりました。プラグマティックに考えれば、社会における宗教の有用性と害悪を比較考量して、宗教に対する価値判断を行わなければならないはずですが、例えば宗教の社会的機能として良く挙げられる、国家や共同体の社会統合の機能などを考慮に入れなくて良いのだろうかと疑問に思いました。

また、果たしてこの本に、キリスト教原理主義者に対抗するための政治的な実効性は存在するのだろうかということも、疑問に思わないことはなかったです。

いずれにせよ、宗教について進化生物的に考えるために、様々な示唆を与えてくれる非常に興味深い本だと思いました。