ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

対立するのは科学と宗教ではなく、正統宗教とオカルト+科学

実はこういう心霊主義のようなものは、アメリカには植民地時代からわりと多くて、それは定期的に起こる信仰復興運動とは、また別の位相のものとしてずっと存在してきた。理由はよく分からないが、一つ考えられるのは、アメリカにはヨーロッパにおけるような確立した教会組織があまりなくて、こうしたキリスト教的には異端的ものが比較的存在しやすかったというのはあるだろう。魔女裁判のようなものも、キリスト教の支配力が不安定になった時――宗教改革の時代、あるいは世俗化の急速に進行した植民地時代後期のアメリカ――に活発に行われている。

こうしたブームは、世俗化が進み科学的思考様式が勢力を拡大するにつれて大きくなる傾向があって、ヨーロッパでもキリスト教会の力が弱まる時ほど心霊現象が起こりやすい。プロテスタントの思想家カール・ヒルティは、「正しい信仰が衰えると、裏口から邪教が入り込む」という言い方をしているが、なんらかの形でエスタブリッシュな宗教が弱くなると、こういうものが出てくると考えられている。つまり、信教の自由の副産物である。

歴史をみるかぎり、近代的合理的思考様式と前近代的思考様式、あるいは科学対宗教という対立構造自体が立論として間違っているということが分かる。「科学が発展している時代に、なぜこのような霊魂だのの話が出てくるのか?」という疑問自体が不自然で、科学とスピリチュアリズムは、歴史的に常に同じ時期に力を伸ばしていて、それはどちらも「支配体系としての宗教」と対立してきたのである。つまり、オカルト的なものは科学的思考能力の欠如によって発生するとは、歴史的には言えない。どちらもエスタブリッシュな宗教が欠如しているときに、同時に発生するもので、人類史全体からみるならば、「正統宗教」・「オカルト」・「科学」は、相互に補完関係にある。繰り返しになるが、いわゆる中世ヨーロッパのようなキリスト教が絶対的な権限をもっていた時代には、「不思議な霊現象」は無いことになっていた。心霊現象や魔術が熱心に研究されたのは、近代に入ってからである。アイザック・ニュートン錬金術に夢中になっていたのは有名な話だが、なんでも彼が実験室で必死に捜し求めていたのは、「賢者の石」だったそうだ。そもそも科学的関心と魔術的関心は、起源においては似たようなものだったのだろうということである。そういえば、現代アメリカにおける説教者もテレビ・エヴァンジェリカルズという名の示すとおり、新興宗教とテクノロジーは妙に相性がいいのである。

研究生活の覚書


論の出典が何処か分かりませんが、非常に面白い考えだと思います。正直、宗教改革の時代、あるいは近世ドイツに上のテーゼが該当するかどうかは分かりませんが、近代、あるいはアメリカだと当てはまるのかも知れません。今後、気にしていきたいです。

また、上記の問題に関連する記述は、そのものずばり『カルトの諸相』の「宗教の衰退からカルトが出現する」に見られます。

(引用者:新宗教の)成立にかかわる決定的な条件として、時代を近現代に限ってみれば、次のような近現代社会の特質をあげる必要がある。既成の社会伝統をはねかえして、新宗教やカルトが社会的認知をうけるまで拡大し、あるいは表立って社会の反発をうけるまでの成長してくるためには、何はともあれ、程度の差はあっても当の社会に信教の自由を認める雰囲気が多少なりとも成立している必要がある。

 先進諸社会にのみ限定してこの雰囲気もしくは原則の成立状況をみてみると、まず「時代ごと」に、そしてそれぞれの「文化・社会ごと」に成立程度に相違がみられるのは当然のことである。(中略)

 欧州大陸でのローマ・カトリックは、祭政一致型 (Clericalism) の既成教会すなわちチャーチであるとすでに説明した。(中略)このような祭政一致型文化では、神に対する個人の信仰、信仰を通じての自己確立は二の次におかれることになる。文明圏におさえこまれた各文化の土着宗教いわゆる祭祀は、カルトとして社会慣行や民間信仰の中に沈み込み、弾圧・抑制の的となることもあった。個人の信仰が、人間としての支配者ローマ教会の批判にむかうことがあれば、教会は批判者を信仰の実践者・修行者としてとり込み、修道院を成立させた。(中略)このようなチャーチの下では、グノーシス的な神学に従うカタリ派は弾圧された。新宗教的存在が広がる動員はすべて消されたのである。(中略)

 ルターらはある意味で自然権・人権の概念を後に生みだしてくる「信仰による個々の義認」をうち出して、ローマの上からの権威に対抗し、個々に義認を求める人々の組織(中略)を結成したのである。
 このプロテスタント教会は、チャーチから分離した意味では、また個々人の信仰を重視する教会という意味では、セクトと分類されてもよい。しかし彼らは、聖職者による教会改革をめざした意味で使徒権の権威を決して放棄したわけではなく、また独立国家的な姿をとり始めた各領邦の権力者に対して、王権神授説とも説明できる理論を通じて世俗権を支持し、結果的には新宗教の姿をとり始めた当時の農民一揆などの庶民運動をおさえこむことにもなった。その点からは欧州のプロテスタントは各国家の公認教会になったという意味で、出発して間をおかずチャーチそのものに成熟したともいえる。すなわち政教一致型(中略)であった。ゆえに、(中略)寛容令が施行された英国国教会は例外として、一八世紀以前の欧州にはそれぞれの国に信教の自由の原則が成熟していたとは言い難い。(中略)

 移民社会であるアメリカでは、チャーチ型すなわちローマ教皇の権威に依拠して今日でも僧職のみで教会(中略)を運営するカトリック教会も、そしてアメリカ移民の中では多数派を占めるプロテスタント教会(中略)も、相互の関係をみるとそれぞれ各自は単なるマイノリティ(中略)にすぎず、結果としては、特定の教派が公認教会になれるという状況ではなかった。(中略)

 このような状況においては、各教派・教会はそれぞれの教義的かつ組織体質においては、チャーチ型であったりセクト型であったりするが、等しく成熟した宗教集団、平等に併立して伝道上で競合する集団として、デノミネーションと分類されている。換言すると、法(中略)の下に、国家など世俗権力の介入もなく宗教集団が併存する状況を、政教分離型環境(中略)というが、この環境にあってすべての教派は、宗教集団として社会に十分な義務・責務を果たすものとしてデノミネーションとなるのである。(中略)

 このような信教の自由が保障されている社会では、新宗教は発生し易いし、また第二次大戦後のわが国の憲法において、このアメリカ型の政教分離型環境が導入されたことで、新宗教の発生と拡大は、きわめて容易となったと言うことができる。

井門不二夫『叢書現代の宗教15 カルトの諸相 キリスト教の場合』岩波書店、1997年、89-96頁

ここで扱われているのは新宗教セクト・カルトですが、チャーチ型教会の枠から外れているという点では、心霊主義、心霊現象、魔術、科学は共通しているとも言えなくはないでしょう。ただ、チャーチ内でセクトやカルトは許容されにくいですが、心霊主義、魔術、科学などは許容されることもあるので、一概に両者は同一視できないだろうと思います。