ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

仙台の殉教者

仙台の広瀬川にかかる大橋の近くに、伊達政宗の時代に殉教したキリスト教徒の像があります。*1

 仙台藩主、伊達政宗の時代のことである。徳川幕府キリシタン弾圧によって、仙台藩に囚われの身となっていたカルワリオ神父ら9人は、元和9年も押し迫った大晦日(1924/2/18)午後2時頃、牢番によって広瀬河畔に連れて来られた。
 そこは川岸から4尺(1.3m)ほど離れた大橋の下で、2尺(60cm)ほどの深さに水を張った水牢と言われた池があり、周囲に杭が立ちめぐらされてあった。皆は着物をはぎ取られ、水の中に座って居なければならないように、池の中に打ち込まれた一本一本の杭に縛り付けられた。(中略)

見物にやってきた異教徒達は、口々にキリストを捨てろと彼らに呼びかけていた。神父は、自分達は、いくらでも苦しみに耐える覚悟があるという以外に、何も答えなかった。
 群集は、神父に向かって怒り狂ったように悪口罵倒したが、神父は平静な気持ちで、毅然とした態度をとるように皆を励ました。(中略)
 奉行は、皆とともに棄教するなら、皆を助けてやろうと神父を説得にかかったが、彼は志と信仰を捨てるよりは、苦しみを忍ぶように皆を諭してあると言って、断固として 承知しなかった。

 生き残った7人は牢獄に連れ戻され、正月の3日間を過ごしたが、4日(1624/2/22)、彼らは再び水牢に連れて行かれ、裸にされ、一人ひとり杭に縛り付けられた。


仙台キリシタン殉教録

*1:聖パウロ女子修道会のサイトに写真があります。