ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

「回顧と展望」に見る歴史学の未来

日本の歴史学会で最も権威ある雑誌である「史学雑誌」は、毎年その一年の歴史学会の話題や研究を振り返る「回顧と展望」という号を刊行します。この号は、全歴史学徒必読ということで、私も必要な部分を読むのでした。

2006年の歴史学

総説

昨年を振り返って、まず想うのは鬼籍に入られた歴史家のことである。(中略)悲しみのなかで考えるのだが、何でもありの時流にのり、知の蓄積を忘却して、「自分一人でえらくなったような」顔をしてみたり、攻撃しやすい案山子の亡霊を作り上げ(捏造し)てやっつけてみたりするのは、夜郎自大か子供だましというものだろう。歴史学の従事する者が歴史から学ぶことがなくなったら、どうなるのか。

他方で、歴史学だけでなく人文社会学系の学問をとりまく環境はこの十年あまりの間に激変した。大学や博物館の改組や法人化、競争原理の導入にともなう活性化とペーパーワークの増大、多様なメディアの競合とITディヴァイドが進みながら、相変わらずのオーバードクター問題も指摘される。世の中も大きく変わった。戦後の民主的で分かりやすい歴史学をただ懐かしみ護持するだけでは、未来はない。往事に栄華をきわめた帝国やリベラリズムの「衰退と滅亡」、また「突然死」を扱った書が古典として残っているが、数十年後の歴史学は似たようなことになりはしないか、懸念は拭いきれない。はたして明るい材料はあるのか。一年単位のサーヴェイでは展望は見えにくいかもしれないが、考えてみよう。

近藤和彦


これが巻頭の「総説」ですが、いきなり景気の悪い話で始まります。私は業界の状況に疎いので、ここで挙げられている様々な危機については、良く存じませんが、とにかく景気が悪いことは良く分かりました。(しかし、冒頭の夜郎自大云々の部分は、やけに描写が詳細なので特定の批判対象を想定して書いていると思うのですが、記述に全く具体性がないので、私には何を批判しているのか良く分かりませんでした。)ちなみに、この後の部分では、特に歴史学界にとっての明るい材料は挙がっていなかったように思います。