ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

《批判的転回》以降のフランス歴史学

岩波の『思想』の8月号No.1012で、「《批判的転回》以降のフランス歴史学」という全5回予定の特集が始まりました。この特集は、小田中直樹先生が企画したそうです。ヨーロッパ史では珍しい大型企画で、景気の良い話だと思います。

ただし、ネット上では、この特集について言及しているブログは二つに留まり、今一つ注目されているという感じはしません。これが、『思想』を読んでいる人がそもそもほとんどいない、あるいは『思想』の影響力がほとんどないせいなのか、『思想』を読む人たちはネットとは縁遠いだけなのか、単に『思想』読者はこの特集に関心がないだけなのかは私には分かりません。


この特集では、毎回フランスの研究者による論考と、日本人研究者によるその論考に関わるレビュー・アーティクルをセットで掲載して行くそうです。

第一回目では、かつて「アナール」の運営委員だったベルナール・ルプチさんの「今日の『アナール』」という論考が掲載されています。この論考は1995年に発表されたものです。*1

この論考でルプチさんは、フランスでは地域や時代を限定したモノグラフばかりが公表されたが、個別研究を結びつけて「全体史」を作り上げることができなくなってしまったと述べています。そして、「合意はいかに成立するか」を課題にして、全体性に何とか近づけないだろうかと述べています。

私はルプチさんが、具体的にどうしようと考えていたのか、ざっと読んだだけでは良く分からなかったのですが、おそらく同じく1995年にルプチさんが編者になった『体験の諸形態−もうひとつの社会史』を読めば分かるのでしょう。

レビュー・アーティクルは、渡辺和行先生の「ポストモダンの社会史と『アナール』」という、アナールの創設から最近までの動きを、主に四つの世代に分けて紹介した論考です。こちらでは、言語論的転回についても触れられています。

とりあえず、二つの論考を読んでみて感じたのは、最近の「アナール」には余り大きな動きはなかったようだということです。ルプチさんの論考は1995年と13年前に書かれたものですが、結局『体験の諸形態』での挑戦も余り上手く行かなかったようです。

また、渡辺先生の論考でも、「二一世紀の社会史に向けて」と題された章で、シャルチエ、ギンズブルク、デーヴィス、ヘイドン・ホワイト、テリー・イーグルトンなど10年前の「アナール」や社会史の紹介と全く変わらない名前しか出てきていないので、おそらくこの10年の間に、「アナール」や社会史周辺では目立った動きはなかったようです。

渡辺先生の論考では言語論的転回がそれなりに大きく触れられていましたが、個人的な印象では、今日の社会科学ではポストモダニズムの影響力は完全に失墜しており、むしろ英米的な実証主義の影響力の方が圧倒的に強い気がするので、言語論的転回は既に余り現代的な問題ではないように感じています。


最後に、個人的な期待を申し上げると、この特集が、単なる問題提起のみに終わらず、具体的な研究成果に結びついてほしいなと思っています。一般論になりますが、批判や問題提起は簡単ですが、実際に具体的に問題解決をしようとすると、非常に大変だと思います。そのため、往々にして、批判や問題提起はされたが、具体的にどうすれば良いのか誰も試行錯誤せず、解決策も提示されず、問題が放置されたままになるということになりがちではないかと思います。

もちろん、問題の解決策を探るのは、未知の世界への挑戦であり、どうすれば良いのか分からないこと、失敗や挫折、遠回りの連続になり、多大な時間と労力を浪費する危険性のある行為だろうと思います。そのため、個人として合理的に振る舞うとすれば、簡単にできる批判や問題提起はするが、自分では何もせず、誰かが苦労して何とかしてくれるのを待ち、その奇特な誰かの成果にフリーライドするのが最善であろうと思います。

ただし、個々の研究者が合理的に振る舞ってばかりいると、問題は指摘されるだけで何も解決せず、どんどん状況は深刻化していくことになります。個人が合理的に行動するほど、全体の状況が悪化するというのは、社会的ジレンマが生じている状況なので、これは解決が非常に困難な状況だと言えるでしょう。

このような状況では、誰かが非合理ながらリスクやコストを引き受けて、問題解決に尽力する必要があります。そのため、私としては、やはり誰かに尽力していただきたいと思いますし、自分でも尽力しようと思っています。そのような全体の利益のために短期的な私的利益を犠牲にする人、内田樹先生流に言えばセンチネルの仕事を引き受ける人が、一定程度存在し問題解決のためのリスクとコストを引き受けるならば、歴史学界が駄目になることはないだろうからです。

*1:ちなみに、出典が註の後という非常に分かり難いところに書いてあったので、次回から訳者解題の最初の部分に書いていただけると、見つけやすくて助かります。