ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

永本哲也「ミュンスター宗教改革運動における市参事会の教会政策」紹介

先日発売された「歴史学研究」の2011年2月号に、拙稿「ミュンスター宗教改革運動における市参事会の教会政策 −1525-34年市内外諸勢力との交渉分析を通じて−」が掲載されました。できるだけ多くの方に読んでいただきたいので、簡単に内容を紹介させていただきます。


この論文で私は、ドイツ北西部の中心都市ミュンスターで起こった宗教改革運動で、都市の政府である市参事会が行った様々な教会政策が、どのような基準で行われていたのかを明らかにしようとしました。

何故そんなことをする必要があるのかというと、宗教改革運動研究は、基本的に市民によって担われた運動であって、都市の政府である市参事会は、だいたい宗教改革を邪魔するものだと見なされてきたためです。

市参事会は、確かに宗教改革を者邪魔する場合も多かったのですが、彼らは宗教改革を市内で公認したり、市民と協力しながら進めたり、自分から進めようとする場合もありました。こういう市参事会の色々な態度をどうやったら上手く説明できるかと頭を捻って考えた結果が、この論文です。

市参事会は、市内では全ギルド会議という市民の代表機関と、市外ではミュンスター市の領主であるミュンスター司教と、宗教改革をめぐって度々交渉を行いました。この交渉で市参事会が行った主張や決定を丹念に見ていくと、彼らは一貫して、都市の公共の福利を守ろうとしていたことが分かってきました。

公共の福利とは、都市の平和や色々な特権、市民の特権や利益など、都市や市民全体に関わる様々な利益を包括した理念です。そして、市参事会は、一貫してこの都市の公共の福利を守ろうとしていたのです。

市参事会は、市民の反乱を抑え、都市の平和を守るためには、市民の要求を聞き、宗教改革を導入しました。市参事会員のほとんどが宗教改革に敵対するカトリック信徒だったときでさえ。

また、市参事会は、ミュンスター司教によって市内での教会に関する管理権を認められると、市内で積極的に宗教改革派の教会を確立させようとしました。

しかし、市内で政治的に危険な神学を主張する再洗礼派たちが力を持つようになると、やはり都市の平和や特権を守るために、市内での宗教改革改革派教会の確立を断念し、再洗礼派の信仰を市内で認めました。

市参事会は、公共の福利を守るためには、市参事会員個人の信仰に反するような教会政策も取っていました。しかし、彼らは、何故そんなに市民思いの立派な態度ばかりを取っていたのでしょうか?

その答えを出すために、私は、市参事会を取り巻く政治的力関係、市参事会員個人の利害や信仰、市参事会の役割の三つの要因に着目しました。

そして、その分析の結果導き出された答えについては、ぜひ「歴史学研究」2011年2月号を手に取り、ご自分で確認していただければと思います。


歴史学研究」2011年2月号には、崎山直樹さんによる若手研究者問題を扱った大学人必読の時評「崩壊する大学と「若手研究者問題」―現状分析と展望―」も掲載されるなど、注目の一冊になっています。拙稿共々どうぞよろしくお願いします。


歴史学研究 2011年 02月号 [雑誌]

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