ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

再洗礼派の中のアウグスティヌス的伝統

東方正教から見れば、カトリックプロテスタントも共にアウグスティヌス的伝統を引き継いでいるのならば、果たして西方の再洗礼派にとってアウグスティヌスの神学はどのような意味を持つだろうか。

ロバート・フリードマン著、榊原巌訳『アナバプティズムの神学』平凡社、1975年 の中で、著者は、再洗礼派はアウグスティヌス的伝統を良く知らなかったと述べている(93-94頁)。ルターの義認論の基盤はアウグスティヌス的な原罪観にあるのだから、アウグスティヌスの影響を余り受けず、遺伝する罪という考えを持たなかった再洗礼派が、「信仰のみ」の義認論を採らなかったのは当然とも言える。

再洗礼派におけるアウグスティヌスの影響について、索引を使ってざっと見てみた。

新しめの再洗礼派の概説書Roth, Johan D. and Stayer, James M. (edit.), A Companion to Anabaptism and Spiritualism, 1521-1700, Leiden-Boston 2007. でアウグスティヌスが出てくるのは7箇所。
4箇所はカールシュタットに関わる部分。彼はアウグスティヌスから影響を受けている。(5,6,18,19頁)
2箇所はミュンツァーに関する部分。ミュンツァーもアウグスティヌスに学んでいる。(18, 26頁)
もう一箇所はコールンヘルトに関する部分。彼はフランク以上にはっきりとアウグスティヌスの原罪説を否定したそうだ。(144頁)
狭義での再洗礼派に関する部分では、アウグスティヌスは全く出てこないことになる。

ドイツ語の代表的な概説書Goertz, Hans-Jürgen, Die Täufer. Geschichte und Deutung, München 1980. では、一箇所だけ再洗礼派と直接関係ない部分で出てくる。(135頁)

英語の少し前の概説書 Snyder, C. Arnold, Anabaptist History and Theologie: An Introduction, Kitchener 1995.でも二箇所にしか出てこない。一箇所は、フッター派の指導者ペーター・ヴァルポットが、信仰者の共同体が新約聖書の時代に神によって作られ、アウグスティヌスの時代まで続き、フッター派によって復活したと考えていたことを紹介した部分。(p. 243)
もう一箇所が、ミュンスターの神学的指導者ベルンハルト・ロートマンが『二つのサクラメントに関する信仰告白』の記述の紹介。財産共有はローマ司教クレメンスの書簡で言及されるだけでなく、アウグスティヌスも彼の時代にあったと述べていたと、ロートマンは書いていた。(p. 244)
この二箇所は、教会組織や財産共有に関する記述であり、しかもアウグスティヌスの神学的な側面には触れていない。

今後再洗礼派の神学に関する研究や再洗礼派の著作などの史料におけるアウグスティヌスの記述を当たらねばならないが、再洗礼派研究では、アウグスティヌスが再洗礼派に大きな影響を与えているとは考えられていないようだ。