ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ウェスレー、英国国教会、敬虔主義者と東方の霊性


清水光雄『ウェスレーの救済論 西方と東方キリスト教思想の統合』教文館、2002年


神学の研究書なので、私にはきちんと理解することが難しいが、「第1章 最近のウェスレー研究動向」を読むと、この本のタイトルにあるように、近年のウェスレー神学は、カトリックプロテスタント英国国教会のような西方教会だけでなく、東方教会の神学に強い影響を受けていたことが強調されていることが分かった。

1970年代までは、ウェスレーの神学は西方のキリスト教の伝統の枠内で解釈していたそうだが、この試みは上手く行かなかったと言うことだ。何故なら、ウェスレーの聖化・完全理解をカトリック的立場から解釈することはプロテスタントにとって無理なので。(16頁)セルは宗教改革者の単動説的観点から、ウェスレーの義認と聖化・完全との統合を説明しようとしたが失敗したそうだ。(17頁)キャノンは、神人協働説的視点からウェスレーの先行の恩恵と人間の応答という考えを解釈したが、やはり義認前以後にかかわらず人間の行為の意義を認めにくいプロテスタントの伝統に則り、ウェスレーをセミ・ペラギアンとして解釈するという誤りを犯したそうだ。(17頁)

このように西方教会の伝統の枠内でウェスレー神学を理解しようという試みは失敗したが、1980年代以降ウェスレーの義認と聖化の統合を、西方だけでなく、古代ギリシア教父と東方の霊性の影響を考慮に入れて理解しようという研究が現れたそうだ。東方では、神の恵みに参与し、その恵みに応答することで、堕落による人間の罪・病を癒やし、創造の目的・感性である神化に向かって進むという考えが中心だった。(19頁)ウェスレーの神学が、このような東方の霊性に強い影響を受けていると最初に指摘したのが、教父学者アウトラーであり(33頁)、その後東方とのつながりの研究が進んだ。マドックスは1990年の論文で、ウェスレーは東方西方両方の伝統の中で生き、両者の統合を求めて神学に従事したが、東方からの影響がより大きかったと結論していたそうだ。(36頁)

ウェスレーは教父研究の専門家クレイトンやクレイトンの指導者ディーコンの影響で教父研究への関心を持ち、特にニカイア会議以前のギリシア教父を尊敬していたそうだ。彼はコンスタンティヌス大帝以降の歴史を堕落と理解したが、4世紀のシリアの修道士エフライム、同じくシリアの修道士マカリオス(擬マカリオス)によって真正のキリスト教が継承されたと考えたそうだ。このようにウェスレーは、ヒエロニムスやアウグスティヌスのようなラテン教父ではなく、東方の神学者を重視していたそうだ。(35頁)

221頁の註では、当時のオックスフォード大学のカリキュラムではほとんど中世研究がなかったので、ウェスレーは4世紀から16世紀のアングリカニズムの間の時期には関心を持たず、空白になっていたと書いてある。

ウェスレーは『キリスト教文庫』第1巻(1749年)に『マカリオスの説教』の抜粋を治めている。タトルによれば、キリスト者の生活を完全に向かうプロセスだと理解するマカリオスの影響で、ウェスレーはそれまでの静的な完全の概念を変えたのだそうだ。(36頁)リーによれば、全被造物の回復、万物の完成というウェスレーの神の像理解はマカリオスよりもエフライムに多くを負っていたそうだ。(36頁)

この章を読んでいて面白いと思ったのは、ウェスレーのみならず17〜18世紀の国教会、さらには敬虔主義者の中にも東方に関心を持つ者がいたということだ。16-17世紀の国教会の神学者達は、教父文献を収集し、17世紀後半から18世紀初頭にかけて教父研究が盛んになっていたそうだ。(34頁)

ドイツでもアルントはマカリオスの著作を読んでいたそうだ。東方の霊性の影響下で『真のキリスト教』を書き、17世紀のルター派によく読まれ、シュペーナーたちに影響を与えたそうだ。(34頁)

このように、ウェスレーや英国国教会や敬虔主義には東方の影響が入っているそうだ。敬虔主義における東方の霊性の影響についても、研究は進んでいるであろうか。暇な時に調べてみたい気もする。