ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

文書館で手書き文書を読む理由

歴史学者たる者は、やはり手書きの一次史料を読みこなしてこそ一人前というイメージが私にはあるのですが、恥ずかしながら私はまだ、必ずしも十分に手書きの文書を読むことが出来るとは言えません。

私もドイツに来てから、古文書読解の授業には何度か出たので、全く読めないと言うことはないのですが、これまでそれほど身を入れて勉強してこなかったので、まだ不十分なままです。

私がこれまであまり本腰を入れて古文書解読の訓練をしてこなかったのは、先ず第一に、私が扱うミュンスター再洗礼派関係の史料のほとんどが、すでに刊行されていたからです。つまり、ドイツの研究者の方々が、手書き文書を活字に直して、本として出版してくれているので、わざわざ文書館に行って手書き文書を読まなくても、今までの研究には差し障りはなかったからです。

また、これもお恥ずかしい話ですが、私はそもそも最近まで、刊行された史料を余り読むことができませんでした。というのは、16世紀のミュンスターの文書は、中世低地ドイツ語という、現在のドイツの標準語とはかなり異なる言葉で書かれているからです。

私のこれまでの研究は、この中世低地ドイツ語との戦いであったと言っても過言ではないほど、この中世低地ドイツ語の習得は難しく、長い間苦しめられてきました。しかし、ミュンスター大学で、基本文法から学び、講読演習に出て、必死で学んだ結果、ようやくそれなりに中世低地ドイツ語の文章も理解できるようになってきました。

そのため、私は、まだ完璧ではないにせよ、史料を原文でそれなりに理解できるようになったため、こつこつと史料を翻訳し、読んでいます。特に、当時の再洗礼派の生の声を聞くために、ミュンスターラントの再洗礼派の審問記録を読み進めています。

しかし、残念ながら全ての再洗礼派の審問記録が刊行されているわけではないので、一部の審問記録は、手書き文書で読まなければなりません。そのため、私は文書館で、手書き文書を読んでいるわけです。