ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

メンノー派歴史協会の総会

当初は、午前中の講演だけを聞いて、その後は市内を見て回ろうかと思っていたのですが、ドイツ人グループに混じって行動しているうちに、結局成り行きで午後の総会にも出席することになってしまいました。この総会では、会計報告や様々な役員の選出が行われたのですが、私は歴史協会の運営状況、内部事情、人間関係などは、何も知りませんので、出席していても全く意味がありません。そのため、なるべくなら後ろに座ろうと思ったのですが、わざわざ椅子を用意していただいてしまったので、他の方々と同様に、円卓の前に座らざるを得ませんでした。

歴史協会の役員は、総会に出席している会員による候補者の信任投票で任命が確定されるのですが、困ったことに私にも選挙権が与えられてしまいました。しかし、今日始めて会ったばかりの人たちについて、何らかの判断を下すなどと言うことが出来るはずもなく、仕方なく全ての投票で白票で提出し、棄権させていただきました。

ただ、私のような門外漢にも、このような重要な選挙の投票権を、平然と与えてしまうというのは、非常に驚きました。その場には20人もいなかったので、一人一人の票は決して軽くないのですが、それでも私のような今回初めて出席した若造と、おそらく数十年も歴史協会の活動に携わってきたであろう他の古参メンバーが全く同じように扱われていました。これは、一六世紀以来の万人祭司主義から綿々と続く平等主義の伝統の残滓なのだろうかと、考えさせられるような状況でした。

この総会に出席しているのは、歴史研究者というよりも、むしろメンノー派の信徒でした。今回の会合がメンノー派の教会で開催されたことからも明らかなように、メンノー派歴史協会の運営は、基本的にメンノー派によって行われており、役員にも歴史家ではない方が選出されている例もありました。

おそらく、講演に出席していた出席者のほとんどもメンノー派の信徒の方達でしょうし、個人的には、非常に宗派色が強いと感じました。

また、今回の会合に来ていた方々は、ほとんどがかなり高齢の方々で、若手の研究者は余り来ていませんでした。そんためか、総会でも、今後どうやって若い世代を、歴史協会に呼び込むことが出来るかが大きな課題だと話し合われていました。

ただ、学術雑誌であるMennonitische Geschichtsblätter は、宗派性を完全に排排した編集方針を取っているようでした。この総会の中で、この雑誌を今後どうするかについての話し合いもあったのですが、今後は、ドイツだけではなく、もっと様々な国の研究者や若手の研究者との連携し、彼らの研究を雑誌に掲載したいという編集方針が説明されていました。つまり、もっと色々な立場の研究者の、もっと多様な研究を掲載し、雑誌の枠を広げたいと考えているようでした。

今回は、外国から来た学生として、私と、もう一人パラグアイから来た学生がいたので、最後にそれぞれ簡単に研究の紹介をしました。私が後で日本で博士論文を書くつもりだと言うと、ぜひ要約をドイツ語で書いて、研究を紹介して下さいと言われました。


総会が終わったのは、ようやく夕方の6時過ぎで、結局ほとんど一日中メンノー派の方々と過ごすことになりました。今回は、ハーレムの元牧師夫妻やドイツグループの役員の方々に本当に親切にしていただいて、非常に貴重な体験が出来ました。

ただ、今回大いに歓迎されたのは、単に私が遠い異国から来た、予期せぬ客だったという理由で、私の研究成果によるものではありません。私は、まだ再洗礼派研究に貢献できるだけの成果を出せていないことに対し、内心忸怩たる思いを感じると共に、今回受けた恩を、近い将来Mennonitische Geschichtsblätterに論文を載せることで返したいものだと思いました。