ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

メンノー派の礼拝式

メンノー派歴史協会の会合があったのは土曜日なので、その翌日の日曜日には10時半から礼拝式がありました。私も参加して良いとのことなので、再洗礼派の礼拝式がどのようなものなのを体験すべく、礼拝式に参加しました。

先ず、ハーレムのメンノー派の教会には、普通の教会とは異なり祭壇がありません。その代わり、他の席よりも高いところに据えられた説教壇が、教会の正面真ん中に据えられています。つまり、カトリック教会とは異なり、祭壇で行われる聖職者によって行われる儀式ではなく、説教者の説教、つまり信徒に述べ伝えられる神の言葉が重視されていると言うことが、教会の構造からも分かります。

また、説教壇の両隣には、牧師や説教師が座る席が設けてあります。

他の教会は、通常東西に細長いかたちをしていますが、メンノー派の教会では、正方形に近いかたちをしています。これは、おそらくどの席に座っても、説教壇から余り遠くない、つまり説教を聞きやすいように配慮しているからだと思います。

アムステルダムの国立歴史博物館で見た、メンノー派教会も、この教会と同じ構造をしていたので、オランダのメンノー派教会は、一般的にこのようなかたちをしているのだろうと思います。ただ、ドイツでは、共同体の歴史がオランダと比べると新しいので、教会の構造も大分違うそうです。

礼拝式は、牧師が説教をし、その合間に聖歌を歌うという進行になっていました。説教の内容は、オランダ語だったのでほとんど分かりませんでしたが、聖書の注解、さらに聖書の朗読が主だったと思います。聖歌は教会に置いてある冊子を見ながら歌いましたが、非常に多くの歌があったので、おそらくメンノー派だけではなく、他の宗派の作曲者が作った歌も混じっていると思います。

この日の説教を主に行ったのは、まだかなり若い女性の説教師でした。正規の牧師は、おそらく説教壇脇の席に座っていた壮年の夫妻ではないかと思うのですが、彼らはほとんど説教をせず、その若い女性がほとんど説教をしていました。彼女は、前日の会合では、入り口で案内をやっていたのですが、まさか説教師だとは思いませんでした。

また、16世紀には、再洗礼派の間でも一般に認められていなかった女性の説教が行われているのを見るのは、ちょうどゼミの発表の準備で、再洗礼派共同体における女性の地位についての文献を読んでいるところだったので感慨深かったです。ただ、オランダのメンノー派は一般にリベラルで、女性も男性と全く変わらず、牧師や説教師として活動することが許されているようですが、アメリカなどには女性の牧師を認めない保守的な共同体もあるそうです。

メンノー派の礼拝式で面白かったのは、礼拝式が終わった後、みんなでお茶を飲みながら、しばらく歓談することです。これはこの日だけではなく、いつも行われていることだそうです。これも、信徒間の平等性や、親密さを感じさせる習慣だと思います。

この時も、もう引退したヴェトナム出身の元牧師の女性や、彼女の長男であるフリースラントの牧師さんと話をさせていただき、世界中のメンノー派が集まる大会や、メンノー派の大学、世界中のメンノー派の交流プログラムなどについて色々聞かせていただきました。

自分の周りにいる人たちの多くが、16世紀以来過酷な迫害に耐えて、今まで生き残ってきた再洗礼派たちの子孫であるというのは、平和で自由な国で生まれ育った私には、リアリティーがなかったのですが、16世紀以来の伝統がどのように現代まで伝えられたのか、その一端が垣間見れたようで、本当に良い経験になりました。