ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

被爆者の多様性とわかりやすさのトレード・オフ

私が話したのは、戦後被爆者が、健康、経済的困難、差別、罪悪感などに苦しまなければならなかったこと、そして彼らが、そのような生活や精神状況の中で、一方では沈黙し、一方では反核平和運動に参加してきたこと、しかし、そのような態度決定は、絶えず揺れ動く、動的なものであったことです。

私はこのような内容を説明するために、様々な証言を読み、一般的なパターンをある程度把握した上で、そのパターンを、被爆者の生の声を使って再構成するという手法を取りました。今回の発表は、余り予備知識がない人を対象としたものなので、一方で被爆者の戦後の精神生活の概略を見通せることに気を配り、他方で、単なる概略で終わらせないように、被爆者自身の血の通う生の声に語らせることに気を配りました。私がかなり悩んだのは、この概略性と具体性のバランスですが、個人的にはそれなりにバランスは取れていたのではないかと思っています。

また、もう一つ悩んだのが、単純化の度合いです。被爆者の精神生活に、ある程度共通する部分はあるにしても、実際には、個々の被爆者毎に違います。また、1985年の被団協による調査を元にした石田忠氏や濱谷正晴氏の研究を見れば、被爆した距離、状況、あるいは原爆症の急性症状が出たかどうかで、被爆者の精神生活は、かなり異なることが分かります。また、2005年にも、朝日新聞社による1985年以来の大規模なアンケート調査、さらに日本被団協によるアンケート調査も行われています。

より厳密に被爆者の精神生活について語るならば、このようなアンケート調査の結果も紹介し*1、ある態度を取る被爆者がどの程度の割合だったのか、あるいはどのような被爆状況に置かれていたのかを紹介する必要があります。

ただし、私に与えられた時間は、15分しかなかったので、このような詳細な分析結果を紹介することは、時間的に不可能でした。また、無理矢理詰め込むとしたら、具体的な証言は全て削除し、本当に無味乾燥な概略、しかも非常に複雑で分かり難い概略になることは不可避です。そのため、私は、そのような被爆者の間に横たわる違いを無視し、あたかも、被爆者全員が様々な苦しみを、同じように感じていたかのように語るしかありませんでした。私としては、様々な被爆者がいるということを隠蔽しかねないこのような語り口には正直抵抗がないことはなかったのですが、限られた時間の中で出来ることは限られているので、単純化せざるを得ませんでした。

私は、学問の良いところは、分かりやすい物語に流されることなく、事実ににじり寄ろうとすることで、現実の複雑さに近づいていけることだと思います。ただ、現実を単純する事を拒否すればするほど、因果関係を複雑に説明せざるをえず、分かり難くなり、学問の重要な機能である経済性が犠牲にされることになります。現実は複雑かつ、動的なものなので、物語から離れ、現実の方に向かおうとした場合、必然的に分かり難くなります。かといって、余りに単純化すると、今度は現実からかけ離れていきます。私がずいぶん考えざるを得なかったのは、この二つのバランスについてです。

その結果、余り予備知識がない人が大半を占めるであろう今回の発表では、わかりやすさを取り、被爆者内部の様々な違いは、あえて言及しないことにしました。それに関しては、聞いてくれた人が、自分の頭で補完してくれることを信頼するしかありませんでした。

ただ、やはり限られた時間の中で、明示できないにせよ、色々な被爆者がいるということを、聞いている人に仄めかすための工夫はしました。そのため、私は、紹介する被爆者証言に、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』に載せられていた、医師の松坂義孝さんの文章を入れました。彼は、広島の被爆者が全員苦しんで死んでいくのではなく、普通の人間として社会に復帰し、他の人と同じように生きることも可能ではないかと、被爆者の苦しみばかりが強調される風潮を批判していました。

私の発表でも、基本的には被爆者の戦後の精神生活を、苦しみに焦点を当てて、紹介しているので、聞いている人に、被爆者は全員苦しんでばかりいたという誤解をさせかねません。しかし、1985年の被団協調査を見ても分かるとおり、実際には、全ての被爆者が肉体的、精神的に苦しみ続けたわけではありません。そのため、普通の人のように生きた、あるいは生きようとした被爆者もいたのだということを、聞く方達に、汲み取ってもらわなければならず、そのために松坂氏の言葉を紹介することは、今回の発表にとって決定的に重要でした。

ちなみに、被爆者が普通の人間として社会に迎え入れられ、普通の人間として生きていくことが出来るかというテーマは、昨年一部で大きな話題を呼んだこうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』の主要なテーマでした。そのため、私は、こうのさんも、もしかすると、私と同様松坂さんの言葉が胸の何処かに引っかかって、このテーマを選んだのかもしれないと、勝手に推測しています。

また、被爆者の二つの態度について発表することは決まっていたものの、結局結論が見えないまま、出来る部分から作業をしていかざるを得なかったので、最後の最後まで、何処に着地するか自分で良く分からないままでした。しかし、最終的に、結論部分を書いているときに、被爆者の態度が、沈黙か、運動への参加に綺麗に別れているわけでもなく、長年沈黙していた人が数十年立って声を上げ始めたり、一度語り始めた人が再び沈黙をしたりと、決断が揺れていることを書こうと思いつきました。この揺れは、被爆者が決して一様ではなかったこと、また個々人の内面も絶えず揺れ動いていたという、被爆者の多様性を示唆するもので、他で単純化した部分を、最後で大分取り戻せる結論だと思いました。最後の最後で、(私にとっては)納得が出来る終わり方を思いつくことができたので、やはり、納得が出来ないときは安易に答えを出さず、納得行くまで待ってみるものだと思いました。

*1:ただし、これらの調査が、統計学的にどの程度の信頼性があるかは、社会調査の知識に欠ける私には判断が難しく、使うとしたら使うとしたでかなり悩まなければなりませんでしたが。