ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

夢広がる手書き文書の世界

講演会が終わってからというもの、しばらく、現代語の二次文献を読んでいただけだったのですが、そろそろ本腰を入れて研究を再開しないといけないということで、今日は朝から州立文書館に入り浸って史料を読んでいました。Chorolyn さんのところのコメント覧で書いたように、私は日本人研究者の全てが手書き文書を読まなければならないとは思っていないのですが、私個人としては、手書き文書を使わないと論文が書けないので、半ば仕方なく手書き文書を読もうと努力しています。

文書館に来る前は、しばらく手書き文書を読んでいなかったので、おそらく全然読めずに、うなだれて帰ることになるのだろうと覚悟していたのですが、思いもよらず、目的の史料がすらすらと読めたので驚きました。その逆はあっても、今回のように予想より上手く行くというのは滅多に無いことです。

今日読んでいたのは、再洗礼派の審問記録です。主要な審問記録はすでに刊行されており、私もすでにそれなりには目を通していました。おそらく、形式や内容に通じていたせいでしょう、文字そのものが判別できなくても、文脈からだいたい単語を推測できるので、問題なく読めたようです。

ミュンスター再洗礼派は、1534年の10月に、近郊の都市に大量の使徒を派遣したことがあり、その際に大量の逮捕者が出て、彼らの審問記録が大量に残っています。今日私が読んでいたのは、その使徒たちのうち、Warendorf(ヴァーレンドルフ) に派遣された使徒たちの審問記録、そしてCoesfeld(コースフェルト) に派遣された使徒たちの審問記録です。

この審問記録では、どちらも複数の使徒の審問記録が、続けて書きつけられています。ヴァーレンドルフの審問記録には、7ページにわたって、ミュンスターから派遣された使徒、またヴァーレンドルフの地元の再洗礼派(だと思われる人々。*1)を含めた10人以上の審問記録が載せられています。書体が同じなので、審問はまとめて次々と行われ、一人の書記によって記録されたことが分かります。

コースフェルトの審問記録には、4人分の審問記録が書き付けられています。ヴァーレンドルフの審問は、短いものが多く、形式も特に決まっていませんでしたが、コースフェルトの審問では、31項目にも渡る詳細な質問が行われています。ただ、3人目になると、その前に審問した者と発言内容が大幅に重なるということで、「前と同じ」で済まされる項目が多く、4人目になると、そもそも余り質問をしていないなど、どんどん審問の仕方が投げやりになっています。

刊行史料では、個々人の審問記録がバラバラに載っていたので、これまで気がつかなかったのですが、多くの使徒は、各都市でいっしょに審問を受け、同じ書記によって記録されていたことが、今回分かりました。そのため、複数の審問記録を比較して、個々の項目の記述の信憑性について、判断がしやすくなりました。特に、コースフェルトの使徒の審問記録は、非常に形式が整っていて、質問内容も広範に渡るので、かなり使い勝手が良さそうです。やはり、現物を見なければ気がつかないことは沢山あると思う次第です。

しかし、目の前に山と積まれている史料の束を見ると、これを自由にすらすらと読めたら、どんなに多くのことが分かるだろうと、たとえ実際には読めないとしても、それだけで世界が広がったような気分になり、なんとなくワクワクするものです。これで、読めれば言うことがないのですが、それは言わぬが花でしょう。

手書き文書を読む時は、常に目を細めて、小さなアルファベットの端から端までを注視し続けているので、数時間作業をしていると、頭痛がするくらい目が疲れ、吐き気がするくらい肩が凝ってしまいます。今も、まだ肩が凝ってどうしようもないのですが、思ったよりもずっと読めたこともあって充実感があり、やっぱりこれが自分の本業だと実感しました。

*1:まだ全部読んでいないので、正確にはわかりません。