ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

2/9の記述は大間違い。

2月9日の日記で、租税記録に出来てきたHenrick Hesselman について書きましたが、この記述が大間違いだったので、修正しておきます。

この間書いた文章では、1582年の租税記録に出てきたHinrich Hesselman を1591年の租税記録に出来てきた指物師Hinrick Hesselmanと同一人物として記述しましたが、どうもこの二人は別人のようでした。

その後租税記録を見ていくと、1591年の租税記録には、もう一人仕立屋Henrick Hesselman が出てきました。つまり、指物師のHesselman と同姓同名の人物が、もう一人ランベルティ市区に住んでいたのです。ちなみに、彼らの名前は、Hinrich、Hinrick、Henrick と微妙に違いますが、この時代は綴りは本当にいい加減なので、この程度は違いのうちには入りません。*1

1582年の記録に出てくるHesselman は、vff den Bulte に住んでいたのに対し、1591年の記録の指物師Hesselman は、vf der Ridderstraiße に住んでいました。租税記録の中に出てくる名字は、非常に種類が多く、同姓同名の人物はほとんどいないため、私は住む通りが違っても、同じ人物だと判断しました。住んでいる通りが違っても、単なる記述の仕方の違いかもしれないし、単に引っ越ししたかもしれないからです。

しかし、その後、ann den bultte に住む仕立屋Henrick Hesselman が現れました。同姓同名なら、やはり同じ通りに住んでいる方が、同一人物である可能性が高いので、おそらくこちらのHesselman が1582年の記録に出てくるHesselman と同一人物の可能性が高いだろうと思います。*2余り安易にものを考えていると、とんでもない大間違いをするという好例でしょう。お恥ずかしい限りです。

では、仕立屋Heinrick Hesselman に、1582年から1591年の間に何が起こったのでしょうか?実は、結論から言えば、仕立屋Hesselman は、指物師Hesselman と驚くほど良く似た運命をたどっていました。

1582年に4シリンクだった徴税額は、1591年には、一度7シリンクと評価されました。つまり、前回述べたように、仕立屋Hsselman も、事業に成功し、結構高額な徴税額を評価されるだけの財産を蓄えたようです。

しかし、この7シリンクという徴税額には、その後横線が引かれてしまいました。その代わりに付け加えられたのは、なんと「paup(er)」という単語です。このpauper とは、困窮しきってどうしようもなくなった最底辺の貧困層を示す単語です。彼のようにpauper と表記される人の数は、かなり僅かです。未亡人や一人暮らしの女性、奉公人や女中などの貧しい人々の大半はpauper とは見なされず、1シリンクの税を払っているので、pauper と表記される人が、どれほど困窮しているのかが想像できます。

指物師Hesselman は、まだ1シリンク払っているので、零落したと言っても、最底辺まで落ちたわけではありませんでした。彼にはまだ、奉公人として、一応仕事があったからでしょう。しかし、仕立屋Hesselman は、立派なギルドの親方から、社会の最底辺にまで転がり落ちてしまったわけです。果たして彼に何が起きたのかは分かりませんが、おそらく何らかの理由で事業に失敗し、借金でも作り、職を失ったのでしょう。

ちなみに、彼の妻も、哀れにも夫と同様にpauper に落ちてしまいました。その後の彼らの生活が、かなり厳しいことになったことは、想像に難くありません。

租税記録の中に出てくる人々の中でも、これほど劇的に零落する人は、そう滅多にいません。しかし、同時期に零落したその僅かな人々の中の2人が、偶然にも同じ名前を持っていたというのは、なかなか皮肉な偶然ではあります。

*1:たとえば、「女性: 新高ドイツ語でFrau」を表す表現は、は、「frouwe」「frouw」「frowe」など表記もまちまちです。また、この時代は、低地ドイツ語から高地ドイツ語への移行期だったため、妻を表す表現も「huisf(rowe)」と低地ドイツ語で書かれる場合と、「hausf(rowe)」と高地ドイツ語で書かれる場合があります。

*2:厳密に言えば、1582年の記録に出てくるHesselman には職業に関する記述がないので、どちらと同一人物なのかを同定することは出来ません。もしかすると、そのどちらのHinrick Hesselman とも異なる第三のHesselman であるという可能性も否定できないと言うのは、恐ろしいところです。