ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

公開講演「世界史とヨーロッパ史」

先ず土曜日に行われたのは、大講堂で行われた公開講演です。この講演は、4人が発表しました。2人はそれぞれ1時間ずつ、もう二人はそれぞれ30分ずつ講演を行いました。

首都圏で開かれたせいか、非常に数多くの聴衆が詰めかけたため、一回の大講堂は満員になり、3階に設置されたプロジェクターによる同時中継を見なければならなくなった人々も沢山いました。

なお、これから各講演の簡単な紹介をいたしますが、全体の要約にはなっていないし、聞き違いや思い違いも多々含まれると思いますので、そこのところはご容赦願います。

最初の発表者は、樺山紘一先生です。論題は、「歴史家たちのユートピアへ−国際歴史学会議、100年の挑戦」です。

現在、樺山先生は、国際歴史学会議にご自分が関わってらっしゃるということで、K. D. Erdmann, Toward a Global Community of Historians, 2005 という本を元にして、国際歴史学会議のこれまでの歩みについてお話しされました。

この国際歴史学会議(International Committee of Historians)という組織を私はこれまで知らなかったのですが、全世界の歴史学者を統括する国際的な組織なのだそうです。この会議は、各国毎の委員会から構成されているそうで、日本にも国内委員会があるのだそうです。

この組織は、すでに100年を越える歴史を持ち、これまで数々の大歴史家がこの国際歴史学会議で自分の考えを発表し、大いに議論を行ったそうです。また、最初は西欧諸国中心でしたが、一時大戦前から中南米、インドの研究者が参加していたということで、最初からヨーロッパを越えた歴史家の組織を目指していたと言うことです。

伝統的にこの歴史学会議には理念があり、それは「自由と平和」だそうです。ここでの自由と平和とは、研究をするためには、国家などから独立して、自分で歴史を探求し、発表する自由が必要ですし、戦時には研究どころではなくなるので、平和もまた研究に必要だったからだそうです。しかし、それだけではなく、おそらく、もっと純粋に理念的なものでもあったのでしょう。

樺山先生は、講演の最後に、二つのアピールを行っています。一つは、国際歴史学者会議の理念である「自由と平和」を再び思い返すことです。特に、アジアの歴史家との結びつきを強めていきたいそうです。もう一つは、恒常的な学術機構を設置することです。

二人目は、ハンガリー近現代史の南塚信吾先生の「世界史とヨーロッパ史−「おくれたヨーロッパとすすんだアジア」−」という発表です。南塚先生は、必ずしもヨーロッパが進んでいる、アジアが遅れているという見方が唯一のものではなく、ヨーロッパ中心の歴史観を見直し、グローバリゼーションの陥穽に陥ることなく対抗していかなければならないと主張されていました。

三番目の発表は、東京大学の高山博先生の「グローバルヒストリー〜近代歴史学の終焉〜」です。高山先生は、すでに1992年からゼミでグローバリズムの問題を扱ってらっしゃったそうです。先生は、情報や金融、法などのグローバル化により、国家の力が弱まりつつあるが、国家に代わり秩序維持を行う主体は存在しないという狭間の時代と、現在を捉えているようです。

そして、このようなグローバル化が進む現在、国家単位での集団の記憶、歴史観の相互の矛盾が明らかになり、衝突しやすくなっていると考えておられるようです。そのため、従来のように国家単位で歴史を探究することは難しく、人類のグローバル・ヒストリーが必要になり、比較研究の重要性が増していくだろうとおっしゃっていました。

最後は、大阪大学秋田茂先生の「グローバルヒストリーの構築と西洋史研究−関係史の視点から」です。

高山先生の発表が理念的だとすれば、秋田先生の発表は、すでに大阪大学で行われている具体的な試みを紹介するものでした。大阪大学では、Leverhulme Trust の財政的支援で、グローバル経済史(Global Economic History Networl: GEHN)の共同研究を、LSE、カリフォルニア大学アーバイン校、ライデン大学と共に行っているそうです。彼らは3年間で、10階の国際ワークショップを行い、お互い徹底的に議論を行ったそうです。

このGEHN のワークショップでは、A. G. Frank が19世紀まで中国が世界経済の中心だったのではないかと主張したり、Kenneth Pomeranz が、18世紀末までの西欧、揚子江流域、日本、北インドを世界経済の四つの書くと考え、比較し、当時の経済成長率にほとんど差はなかったと結論付けたりしていたそうです。


これらの講演に共通していた考えは、今後日本の西洋史学会を、テーマ的にも、人的交流的にも国際化していかなければならないということだろうと思います。その理由の一つ目は、現在文科省などから国際的な競争力を求められているので、他の国の研究者に負けない研究を、英語などで発表することが必要とされるからです。もう一つの理由は、グローバル化が進んでいるので、それに対応しないと社会的責務を果たせないと考えられているからです。

個人的には、歴史学者現代社会、たとえばグローバル化の進展についての理解が、その道の専門家と比べて、果たしてどのくらいの水準にあるのだろうかとは、少し思いました。歴史学者が、自分の研究を現代の問題と関わらせていく場合、必然的に現代の問題に対しても、鋭い目を持たねばならないはずですが、現代史をやっている方はともかく、そうでない場合、まるっきり畑違いの分野に、どれくらい目配せをできるかというのは、大きな問題ではないかと思います。

現代社会に関する言説は、一通り眼を通すのも難しいほど多様かつ、膨大で、専門レベルの最新の研究に精通するためには、莫大な時間と労力を払わなければ不可能だと思います。他の分野に精通しようと思えば、少なからず本業が疎かにならざるをえないと思いますが(特に、教務で非常に忙しい教員の方々にとっては)、どの程度のコストを掛けた場合に、最も利益を最大化できるかという問題は、大変頭の痛いものではないかと愚考いたしました。

とは言うものの、一国史を越えたグロ−バルな視点から、歴史を探究するというのは、非常に魅力的だと思いますので、今後の研究の進展をお祈り申し上げております。*1

しかし、今回は時間の都合か、質疑応答がなかったように記憶しています。

*1:私は、なんとかミュンスター市のみから、ヴェストファーレン地方、そして低地地方や下ライン地方に視野を広げられるようがんばります。