ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

下層民は、必ず社会革命を志向するか?

旧来の研究では、ミュンスター再洗礼派運動において下層民が多かったかという問題は、そのまま、再洗礼派運動が社会革命だったか、宗教運動だったかという問題と同一視されてきたというところがあります。これは、下層民による反乱を、マルクス主義的に解釈する考え方が強かったからだと思います。

このような先入観は、おそらく未だに多くの人々が持っているだろうと思います。私が以前日本のとあるところで発表し、ミュンスター再洗礼派には下層民が多かったと述べたところ、マルクス主義?と言われたことがありました。

個人的には、下層民が人数的に多かったことと、運動の社会革命的な性格を、直接結びつけることはできないだろうと思います。また、もし、彼らの動機が社会革命的だったとしても、それを直接経済危機と結びつけるということもできないだろうと思います。別に、下層民が多数を占めていたとしても、信仰が彼らの動機で、再洗礼派運動は純粋な宗教運動だったと評価することは全く不可能ではないだろうと思います。

これは、下層民だけではなく、名望家にも当てはまるでしょう。ハインツ・シリンクや倉塚氏が言うように、宗教改革、再洗礼派運動においてエリート循環が起こっていたとしても、彼らが政治権力を掴むために、宗教を手段として使ったとは必ずしも言えないでしょう。エリート循環は、単なる運動の副産物で、目的だと考える必要はありません。

社会集団や財産階層、都市制度の中の地位と、宗教改革、あるいは再洗礼派運動の支持者の間に、何らかの関係があったとしても、その関係がいかに生じたのかという理由付けは、そう簡単ではないと思います。かつての研究者が想定したように、直接的な関係を想定することは、マルクス主義のような依拠する理論が存在しない現在、余りに素朴な見方ではないかと思います。

おそらく、両者は直接結びつくのではなく、幾つかのステップを踏んで、間接的に結びついているのだろうと思います。ただ、現在では、その間は、ブラックボックスのようになっており、見ることはできません。仮説自体は様々に立てられますが、史料の不足などで、検証可能性は限られます。重回帰分析をを用いた変数の相関の解析などは、16世紀段階では望むべくもないのです。どの要素とどの要素に因果関係が見られるかを明らかにするには、どうすれば良いのかということを、私は長らく考えているのですが、本当に本当に難しい問題だと思います。