ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

一般意志

宮台:一般意志は、個人意志の集計じゃない。万人の合意じゃない。誰もがそう思うということじゃない。ルソー的にいえば、国民全員が出席する集会のごとき「祭り」の結果生じるもの。デュルケーム的にいえば「集合的沸騰」の結果生じるもの。ようは、自分がどう思うかは別として「皆の意志だ」と誰もが思うもの。
たとえば、合衆国憲法憲法意志は、ジェファソンの独立宣言だという。じゃあ実際に意志したのはジェファソン以外に誰なのか。少数しかいない。アメンドメント(修正条項)に見られる人権条項が合衆国国民の憲法意思でつくられたなどという。じゃあ実際に意思したのは誰なのか。やはり少数しかいない。でも「皆がそう思っている」と誰も思う。「祭り」のせいでね。
実際には「皆がそう思っている」という事実はないから、憲法意思は虚構です。ことほどさように、一般意志はいつも虚構です。デュルケーム的発想をするなら、面識圏を遙に超えた大規模な国家が国民の意思で単一の統治権力に服するという事態は、集合的沸騰を経由して得られた一般意志の虚構抜きにはあり得ません。

宮台真司北田暁大『限界の思考』双風社、2005年、313-314頁


一般意志は、面識圏の中、たとえば近世の一都市の中でも生じうるものでしょう。16世紀前半の都市反乱においては、多くの場合、市民委員会や市参事会から排除されている名望家層が、箇条書を作り、市当局や領主に自分たちの抗議と要求を示します。この時に、反乱に参加していた民衆、特にギルドや市民共同体から排除されている下層民男性や、女性の要求が、どの程度この箇条書に盛り込まれていたかは、非常に疑わしいと予想されます。*1では、彼らは箇条書の内容をきちんと知っていたのでしょうか?彼らは、その内容に満足したのでしょうか?

限定された情報と権限しか持たない者が、「一般意志」にリアリティーを感じ、承認する際の、その形式とはどのようなものでしょうか。合意形成や世論の形成などを扱う、社会心理学の研究でも参照するべきでしょうか。

*1:箇条書を起草するに当たって、反乱住民内でどのような協議が行われたかが分かる資料、あるいは実証研究はあるのでしょうか?