ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

都市の職人

このような親方層分解と並行して、親方・職人関係も大きく変化する。すなわち、親方との家父長制的関係の弛緩を象徴するかのように、親方家計内に包摂された未婚の職人以外に、次の2類型の職人が分出してきた。すなわち、徒弟修行後の追加的修行期間−皮鞣工ツンフトで遍歴強制が導入されたのは、17世紀以降のことである−中に独自の世帯を構えた、出来高払工としての既婚の職人と、追加的修行期間の終了後も親方資格を取得できず、なし崩し的に「日雇工」に転落した日雇の職人。

田北廣道「15-16世紀ケルン職人運動の諸要因―ツンフト史の枠を超えて―」(『福岡大学商学論叢』33-1、1988年、15頁)

「親方」「職人」というまとまりだけで考えては駄目で、親方内、職人内での分化を考慮に入れなくては、ことを見誤ってしまうようです。

社会集団を考える際に、どこまで分節していけばよいのかという問題が、必然的に生じます。文節を厳密に行えば、最終的には個人にまで分けられることは必然ですが、それでは何の分析もできません。どこまで分節するかの判断は、なかなか難しいものです。

soweit zu sehen ist, handelten sie auch stets im Verband mit ihrem Meister, bewegten sich dabei aber nicht ausschließlich im Rahmen ihres Gewerbes, sondern wenn es zu Aktionen von Meistern aus unterschiedlichen Handweken kam, traf dieses Überschreiten der Gewerbegrenzen auch für die Gesellen zu. Hervorheben muß man allerdings die Tatsache, daß die Gesellenorganisation hier nicht in Erscheinung trat.

Bräuer, Helmut, Gesellen im sächsischen Zunfthandwerk des 15. und 16. Jahrhunderts, Weimar 1989,S. 161.

ザクセン宗教改革運動においては、親方−職人の結びつきが非常に強く、職人同士の結びつきは、ほとんど意味を持たなかったという指摘は、個人的にかなり意外で、非常に考えさせられるものがあります。これがミュンスターでも当てはまるかどうかは、私が知る限り、史料にこれを判断することができるような記述がないので、何とも言えませんが、少し調べる必要がありそうです。