ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

Wikipedia の「社会学」の項が味わい深い

先日ご紹介した話と、どこか繋がるような気がします。

 しかしながら、日本では長年、海外の理論を輸入することが社会学の目的とされてきたため、現実の社会現象の解明には、必ずしも積極的でない研究者も多い。むしろ哲学的議論や、理論のみの研究、歴史や学説史のみを重視する研究も、いまだに多数存在するのが事実である。例えば東京大学京都大学早稲田大学慶應義塾大学などの伝統ある社会学研究部門では、理論研究者は多いが調査経験は少ない教員が多く、専任教員だけでは社会調査教育や社会調査士資格に対応できない現実もある。それらの大学では、教員の多くが理論の輸入や解釈を主目的としているため、新しい知見の発見は困難である。そのため国際学会での発表経験が乏しいか、発表能力がほとんどない教員も多い。このような深刻な事態の背景には、かつて日本の大学に予算や調査能力がなかった時代には、理論研究のみしかできなくても、やむをえなかったという事情もある。しかし今日では、現実社会と距離のある抽象的な理論社会学研究に対しては、かなりの社会的批判が存在するのも事実である。本稿の記述も以下を見ると歴史的な内容が多く、大規模な社会調査の内容には対応できていないのである。残念ながら日本の社会学は政策への影響力は少なく、多くの社会学者には政策形成や提言能力はない。しかし近年では、社会調査の実施能力や、現実のデータを分析する研究も重視されつつある、と言えなくもない。以下のように、日本の社会調査の中には、国際的に高く評価されているものもある(社会学の方法の項を参照)。最近では社会調査士資格など、社会調査法への対応の努力もあり、大学によっては充実した教育を行っている。東北大学関西学院大学大阪大学などは社会調査に関する研究教育が評価され文部科学省のCOEに採用されたほか、国際学会での発表実績もある

(中略)

高度経済成長期以降の日本の社会学では、産業化、都市化、高学歴化という社会変動を扱うことが多い。その他、最近では、大衆化、少子化、高齢化、情報化など、個別具体的な社会変動を研究することが多い。 社会システム論は、社会構造と社会変動を理論的にとらえるためのものだが、抽象的議論が多く現実の社会を分析するためにはあまり役に立たないため、誇大理論と批判されることも多い

(中略)

米国の社会学においては、公開されている既存の社会調査データが多いこともあり、大規模なデータファイルの計量分析をもとにした計量社会学が、近年では非常に盛んである。アメリ社会学会の機関誌American Sociological Review (ASR)も論文の7割前後が計量分析を用いた論文である。実験や観察、質的調査による研究、理論研究などもあるが、最近はやや沈滞気味で数は多くはない。米国では理論だけの研究はほとんどなく理論と実証の往復が重視される。質的調査は米国において1990年代以前に小規模な流行があったが、米国では社会学における科学主義や実証主義の考え方が強いためあまり重視されず、とくに2000年以降は研究は少ない。

残念ながら、近年の日本においては、著者が読書した本を「参考文献」と称して引用し、その引用の上に多少の個人的私見を述べるのみの書籍が大多数であり、例外を見つけることは難しい状況である。またそれらの書籍は、欧米に住んだことがなく現実社会を知らない社会学者が、文献研究だけを行い欧米の社会を語ることが多いため、抽象的で的はずれな議論が目立つことも事実である(「反社会学講座」)。


Wikipedia社会学


記述が妙に生々しくて、具体的で、書いた方の沸々とした思いが行間から滲み出ているような気がするのは私だけでしょうか。これ書いたの、少なくとも院生以上の方々だと思うんですが。なんとなく英語圏の大学に留学中の博士課程の学生や、留学先で学位を取って日本に帰国した30代前半くらいのポスドクの方々が書いたのかなあという推測をしてしまいました。