ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

意図と結果は必ずしも一致しない

塩川伸明先生による市野川容孝『思考のフロンティア 社会』(岩波書店、2006年)の書評から。(on the ground 経由)

 誤解を防ぐために断わっておかねばならないが、このように指摘するからといって、私はレーニンが民主主義者だったとかレーニン主義が民主的だったといおうとするのではない。レーニン主義の実践的帰結は紛れもなく非民主的なものだったし、それは単に不幸な外的条件とか後継者の逸脱だけに帰されるものではなく、レーニンの思想の中にそのような帰結を招く要素があったことも認めなければならない。ただ、「そのような帰結を招く要素があった」ということと「最初からそういうものでしかなかった」ということの間には距離がある。レーニンは主観的には自己を民主主義者と考えていたが(11)、そのような思想を拠り所とした運動でも実際には非民主的な帰結を招くことがある――この点にこそ、究明すべき問題がある(12)。これは単に過去のよその国の問題ではない。今日、「自分はレーニンとは違って民主主義を尊重している」と考えている人たちも、場合によっては、その主観とは裏腹な帰結に至ることがあるかもしれない。「レーニンは民主主義を否定したからレーニン主義の産物も非民主的だった」という風に直線的に考えるなら、この深刻な問題が見失われる。

(中略)

 著者自身の積極的な見解は、本書の終わり近い部分にかなりはっきりと出てくる。それは、現状批判的という意味で相当ラディカルなものである。読む人によっては、これは「社会主義」ではないかという感想を懐くかもしれない。著者はそのことを意識したのか、自説と「国家社会主義」は違うのだということを強調し、自分の立場は「社会的な国家を民主主義によって動かす」ということなのだと論じている(二〇八頁)。しかし、前述したように、レーニンにしても、本人の意識においては民主主義を否定していたわけではない。レーニン主義を拠り所とする運動と政党が民主主義を蹂躙したことは紛れもない事実だが、それはその都度「真の民主主義」の名において正当化された。そのことを思い起こすなら、「民主主義」を掲げさえすれば「現存した社会主義」の轍を踏まないという保証はない。レーニンおよびソ連の経験を安易に片づける人――これは市野川だけでなく今日の圧倒的多数の人々の一般的風潮だが――は、自ら意識せずに類似の陥穽に陥る可能性がある。先に著者のレーニン批判があまりにも安易であることを批判したのも、そのことを意識したからである。


物事が意図とは全く違う結末を導くというのは、ミクロのレベルから、マクロのレベルまで良くあることだろうと思います。また、始め持っていた意図や主義が、状況の変化の応じて次第に変化していき、意図や主義自体が大きく変容することもままあろうかと思います。また、以前ご紹介した「歴史における転轍」や「意図したことが、意図しない結末を反復して生じさせる構造があるかどうか」と全く関係がない話でもないような気がします。