ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

貧者の名誉と尊厳

先日「貧者の尊厳」という日記を書いたところ、id:sumita-mさんからトラックバックを頂きました。自分の研究関係の日記に言及を頂くというのは、おそらくこのブログ始まって以来の出来事なので、嬉しく思うと共に、恐縮しております。

非常に示唆に富む文章だと思う。ただ、「名誉(honor)」と「尊厳(dignity)」という2つの概念をほぼ交換可能なものとして使っているのはどうかなと思う。というのも、ピーター・バーガーはこの2つの概念を近代社会と前近代社会(伝統社会)を分かつメルクマールとして使用しているからである。

(中略)

ここでの引用に付け加えれば、重要なのは、個人を「役割」に結びつけることによって、より宗教的に言えば様々な守護聖人を介して神へと結びつけることによって、居場所を与えていたコスモロジーが、それを支えるplausibility structureとともに、機能しなくなった、或いは壊れてしまったということなのだろう。

このように、sumita-mさんから、私の文章中の「名誉」と「尊厳」の用法についてのご指摘がありました。ご指摘によれば、ピーター・バーガーは、「名誉」という概念は、自らのアイデンティティーを制度化された役割の中に見つけていた前近代の人々によって共有されていたものであり、「尊厳」という概念は、自らのアイデンティティを制度化された役割から解放されることによって見つけられると考える近代人に共有されているものであるので、この二つの用語は、使い分けた方が良いということだと思います。

私は、バーガーのこの論については全く知らなかったので、この間の文章では、「名誉」と「尊厳」を共に社会的承認を得るためのリソースとして、置き換え可能なものとして扱いました。ブログ記事ですし、余り考えなしに書いたのですが、では歴史学におけるこの二つの単語はどのように使い分けられたのかと疑問に思いましたので、少し調べてみました。

rde (dignitas, honor, status)soll hier weniger aufgefaßt werden als die dem Menschen aufgrund bestimter ethischer Werte zukommende Bedeutung: vielmehr ist der aus Herkunft, Amt, Alter oder besonderer Eignung resultierende Rang eines Menschen gemeint. Diese Art von Würde war in einer ranggeordneten Gesellschaft, wie sie das Mittel Alter darstellt, fundamental. Sie weist eine große Nähe zu dem auf, was in der Mädiavistik unter Ehre ("honor") einer Person oder Institution zusammengefaßt wird.

Lexikon des Mittelalters, Bd. IX, München 1998, S. 370f.

この文章は、ミュンスター大学の碩学G. Althoff 氏が書いたものですが、このように中世では「名誉 honor」と「尊厳 dignitas」の意味には余り違いがなかったようです。バーガーの使っている単語の意味はかなり特殊なので、そのような意味を含意させたい場合は、やはり予め説明する必要があるでしょう。逆に言えば、それ以外の場合には、バーガー的な意味で使われていないと考えられるだろうと思います。

ここで、saisenreihaさんの言葉を、バーガーを踏まえつつ、言い換えてみると、「名誉」の基盤である「役割」或いは場所を失った「貧者」たちは「再洗礼派」において「名誉」の「残骸」とともに「尊厳」を見出したといえないだろうか。

これは面白い解釈だと思いました。では、これを実証するために何が必要でしょうか。とりあえず、思いつくままに挙げていきます。

  • バーガーのテーゼの妥当性の検証:バーガーの「名誉という概念の衰退について」をざっと読んだところ、バーガーは、自説の根拠をほとんど示していません。たとえば、J. K. キャンベル、ノルベルト・エリアス、『ドン・キホーテ』などの例を出して説明しているものの、彼のテーゼがどのような歴史的事実に基づいて主張されているのかは明確ではありません。そのため、彼のテーゼは、この論文単独では、まだ検証されていない仮説に留まっています。そのため、心性史などの研究成果を参照し、彼のテーゼが実証できるかどうかを検証する必要があります。
  • 変化の時代の検証:実際に前近代から、近代にかけて変化が起こったとして、その変化はいつ頃起こったかが問題になります。バーガーは変化の時期を明言していないので、やはり歴史学の研究を参照する必要があります。
  • 特定の地域における変化の時期:心性の変化は、地域ごとに異なりますので、ミュンスターでいつ頃変化が起こったかを検証する必要があります。
  • 特定の社会階層における変化の時期:心性の変化は、社会階層ごとに異なりますので、貧困層がいつ頃名誉から尊厳へと意識を変えたのを検証しなければなりません。
  • 貧困層に名誉意識があったかの検証:通常名誉は、上層民に対して使われますが、貧困層・下層民が、上層民と同じ様な名誉意識を持っていたかどうかを検証する必要があります。たとえば、中世には乞食の職業団体があったようですが、これが彼らの名誉意識とどのように関わっていたかなど。また、貧困層の中にも、困窮した親方、職人徒弟、日雇い労働者、賤民、乞食・浮浪者など様々な人々がいたので、彼らの名誉意識を個別に見ていく必要があると思われます。

ざっと、思いつくだけでこれくらいはあるので、実際には実証はより一層困難であろうと思います。基本的に、貧困層の心性の研究は、最も史料的条件が悪く、最も実証が困難な類の研究ですので、どうしても茨の道になりますね。


「名誉」は集団的、「尊厳」は個人的だと考えた場合、貧民というのは、名誉を持つことが難しい人々だと思われます。というのは、貧民というのは、親族共同体、都市共同体、職業共同体などの様々な共同体に所属していないことが多い人たちだからです。以前貧困と孤独の結びつきについて書いたことがありましたが、貧困と孤独が結びつきやすいのは、中世でも現代も変わりません。また、バーガーが述べるように名誉や尊厳がアイデンティティーと関わるとしたら、集団に所属できないことが多い貧民は、名誉ではなく、尊厳によってアイデンティティを構築するしかないということになるでしょう。

もっとも、乞食や浮浪者など、全くどの共同体にも属さなかった人々は、それほど多くはなかったでしょうし、乞食や浮浪者同士の連帯もあったでしょうから、彼らもそのような仲間集団を基盤にアイデンティティを築いていたのかも知れませんが。*1

とりとめもなく書いてしまいましたが、バーガーの言う名誉から尊厳への歴史的変化は、今後気にしていきたいと思っています。

*1:たとえば、盗賊や放浪者、乞食、彼らと関わる宿屋の主人や娼婦などが使ったというロートヴェルシュ語などはその現れとも考えられるかも知れません。ベルント・レック、中谷博幸他訳『歴史のアウトサイダー昭和堂、2001年、183-185頁