ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

アフリカの部族対立の起源

東芝が発行している「ゑれきてる」というオンラインマガジンで、「問われる歴史学の方法論」という特集があり、その中で松田素二さんによるアフリカの部族についての記述がありました。

 私がフィールドワークをつづけている西ケニアの場合、現在20以上の「民族」が住んでいますが、彼らが現住地へ移住してきたのは、古くて300年前、新しいもので100年前にすぎません。民族という巨大なまとまりとは無縁な、微細な生活集団が、西ケニア一帯を自在に流動していたのです。それこそが東アフリカ地域社会のダイナミズムの源泉だったのです。
 この流動する無数の小集団の存在は宗主国にとっては忌むべき存在でした。なぜなら植民地支配の根幹は、原住民からの労働力の調達と、税の取立ての二つです。そのためにはアフリカ人が自由に移動しては困るので、原住民居留地を設定し、アフリカ人をそこに囲い込んで管理する必要があったのです。そしてアフリカ人を部族に分け、自由な移動を禁止するのです。こうしてもともとは小さな生活単位であった無数の一族が植民地権力によって糾合されて、一つの政治単位へまとめあげられていったのです。それがアフリカの場合、「部族」だったのです。

最終回 価値としてのアフリカ


流浪する民を忌み嫌い規制するというのは、近世以降のヨーロッパで普遍的に見られた傾向です。それを考えると、植民地時代のアフリカで行われたことは、近世以降のヨーロッパにおける乞食や浮浪者さらにジプシーに対する当局の弾圧や全住民把握のための努力と通底するものもあったのかもしれないなと感じました。