ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ALDIとKaiserどっちで働きたい?

ドイツに行って思ったのは、店員や事務員が余り感情労働をやっていないことです。日本と比べると全般的に無愛想で、仕事も大雑把でいいかげんで、日本のサービスに慣れていると、何て酷いと思うようなことも良くあります。

そして分かったのは、別に店員や事務員の愛想が悪かろうが、仕事がいいかげんだろうが社会は回るし、たいした問題はないということです。日本のサービスは消費者にとっては素晴らしいかもしれませんが、あんなにサービス水準が高くなくてもそんなに困りません。

これは逆に言えば、日本では不必要な過剰サービスのために労働者が余計な仕事を押しつけられているとも言えるわけです。私は安い時給で、声色を作り、作り笑顔を浮かべて必死に感情労働をするバイトの店員を見る度に、日本で働くのは大変だと思うわけです。何故そういうことを日常的に感じるようになったかというと、ドイツのスーパーの労働条件の違いを毎日見ていたからだろうと思います。

ドイツのスーパーは大きく分けると二種類あります。一つは品揃え豊富な普通のスーパーです。もう一つは品数を少数に絞る代わりに、無茶苦茶安い安売りスーパーです。前者の代表はKaiserやRewe、後者の代表はAldi やLiDL といったスーパーチェーンです。

この両者は似たような商品の値段が、下手すると倍ぐらい違います。何故こんなに値段が違うかの理由を私ははっきりとは知りませんが、その理由の一つはおそらく人件費にあります。

普通のスーパーと安売りスーパーでは、レジの数がかなり違います。もちろん普通のスーパーの方が多いのです。レジが多いので当然レジ打ちする店員さんの数も多いです。そのため、普通のスーパーでは、レジの待ち時間は短めです。他方、安売りスーパーはレジの数が普通のスーパーより少な目です。しかし、客の数は普通のスーパーよりもかなり多く、しかも一人の客が買う商品の数も圧倒的に多いです。そのため、レジの前にはたいてい長い列ができており、客は長い時間待たねばなりません。

こんな具合なので、安売りスーパーのレジは、普通のスーパーのレジよりも遙かに大変です。次から次へと押し寄せる大量の客をさばくために、全く休みなくフルスピードでレジ打ちをしなければならないのです。

しかも、ただでさえ忙しい安売りスーパーのレジは、手が空いたときには品出しもしなければならないようです。品出し専門の店員もいないわけではありませんが数が少ないようでした。そのためか、品出しが間に合わないときには、客が並んでいるのにレジ打ちの店員がレジを空けて、品出しなど他の仕事をしていることもありました。

普通のスーパーでは、そもそも品出しの店員自体が多いですし、レジもそれほど混まず、手が空くことも多いので、レジの店員が品出しを手伝うときも、かなり余裕がある感じでした。

私が見た感じでは、安売りスーパーの店員の仕事量は、普通のスーパーの店員の数倍にも達するのではないかと思いました。特にALDI のレジ打ちの過酷さは、日本のスーパーでもおよそ見られないような凄まじいもので、私は良くあれほど長時間、あれほどの早さでレジ打ちし続けられるものだと感心すると同時に、気の毒に思っていました。

とは言え、私も貧乏でしたから、買い物はたいてい安売りスーパーで済ませていたわけです。消費者としてはありがたいが、労働者にとっては辛い場所が安売りスーパーなのでしょう。おそらく普通のスーパーと安売りスーパーの店員の時給はそれほど変わらないでしょう。少ない人件費で多くの利益を上げる一方、消費者により多くのサービスを提供するという意味では、安売りスーパーの方が賞賛されるべきなのかもしれません。

しかし他方で、そんなに仕事を大変にしなくても良いんじゃないかとも思いました。少し値段は高くても良いから、働く人が辛い思いをしないで済む方が、社会全体としては幸福度が高いのではないかということは感じました。

スーパーでは、おそらく労働者と消費者の利益は対立し、労働者と経営者の利益も労働条件の面では対立しているのだろうと思います。他方、経営者と消費者の利益は一致しているだろうと思います。消費者の多くはスーパーで働いていないので、スーパーの労働条件が厳しく、少ない従業員人数と安い賃金の代わりに、商品の値段が安くなる方が利益になります。

ただし、消費者の大半は職種は違っても労働者あるいは被雇用者であり、スーパーなど個々の職種の労働条件が厳しくなると、周り回って自分の働く職場の労働条件の悪化に繋がりかねないので、まるっきり無関係とも言えません。そのため、スーパーの被雇用者でなくても、労働者としての個人は、非常に間接的ながら、スーパーの労働者とまるっきり利益を共有していないということもないのではないかと思います。

機械化などによる顕著な生産性改善の手段がないサービス業で、生産性向上のために何が必要なのか私は良く知りませんが、労働者の負荷を増やすことが生産性向上に使われる例は少なからずあるのではないかと思わないことはないです。

ALDI は少ないお金で、沢山のものを買えるということで、私個人としては本当に助かったし、ありがたかったです。また、人々の商品購入意欲を刺激し、より多くの消費を促すという意味で経済規模の拡大にとっても良いものだと思います。しかし、そこで働く人にとってはどうなのだろうとは買い物するたびに思っていました。

ALDIから遠く離れた日本でも、似たような例はありふれているような気もします。労働者としての個人と消費者としての個人の、遠いようで不可分な関係を思い起こすたびに、コンビニで店員が不機嫌な態度で応対しても誰も何も思わない社会の方が、満面の笑顔やハキハキした発声を求める社会よりも、むしろ住み易いんじゃないかという疑念を頭に浮かべずにはいられません。