ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

シュヴァルツェナウの新洗礼派と再洗礼派


ハンス・シュナイダー著、芝田豊彦訳『ドイツにおけるラディカルな敬虔主義』関西大学出版会、2013年


この本によれば敬虔主義の中にも、信仰洗礼を行う新洗礼派(Church of the Brethren)という集団があったそうだ。(104-111頁)

ヴィトゲンシュタイン伯領のシュヴァルツェナウ Schwarzenau で、1708年8月に3人の女性と5人の男性が、エーダー川で成人洗礼を行った。そのリーダーはアレクサンダー・マックAlexander Mack だった。彼らの内2人アレクサンダー・マックとアンドレーアス・ボニはこれ以前に再洗礼派と接触し、彼らから刺激を受けていた。

彼らは、信仰能力がない幼児に対する洗礼に批判的であり、初期キリスト教徒は成人洗礼を行っており、1〜2世紀には幼児洗礼の証拠がないというゴットフリート・アーノルトの叙述、そして新約聖書を文字通りに理解するという聖書主義によって、幼児洗礼批判を確固としたものにした。彼らはキリストと同様に、成人になってから浸礼を受けることを欲した。

彼らはしばらくヴィトゲンシュタイン伯によって容認されていた。ヴェテラウでは私的礼拝は許されても教団形成や公での洗礼までは許されなかったため、1715年にクレーフェルトに移住した。GAMEOの記述によれば、彼らはクレーフェルトのメノー派と接触があった。
http://gameo.org/index.php?title=Church_of_the_Brethren

彼らはアルトナ、プファルツ、バーゼルとベルンで伝道活動を行った。新洗礼派のクリスチアン・リーベは、1714年にベルンでスイスの再洗礼派と共に有罪判決を受け、囚人としてガレー船送りにされたが、オランダのメノー派の支援で解放された。

クレーフェルトの20の家族が1719年にペンシルヴァニアに移住し、ジャーマンタウンに定住した。1720年には、政治的圧力と経済的困難から、40家族がヴィトゲンシュタインを離れ、西フリースラント、その後大部分が1729年にマックに率いられ北アメリカへ移住した。1730年代には新洗礼派の他の集団もアメリカに渡り、1740年以降ドイツにはいなくなる、ドイツに残った少数は、メノー派の仲間になるか、分離主義者として生きたそうだ。

このように新洗礼派は、敬虔主義から生まれた集団だったが、メノー派やスイス再洗礼派と関係を持っていたし、メノー派からの支援も受けていた。アルトナやプファルツも再洗礼派が住んでいた場所なので、そこでも接触があったのだろう。新洗礼派は再洗礼派と似ている部分が大きかったし、実際に両派は関係を持っていた。また、最終的にその多くがアメリカに渡るところも似ている。

敬虔主義と再洗礼派の関係については、以下の論文を持っているが未読。
Seidel, J. Jürgen, Pietismus und Täufertum - Kontinuität oder Diskontinuität, in: Leu, Urs B. und Christian Scheidegger (Hg.), Die Zürscher Täufer 1525-1700, Zürich 2007, S. 315-334.

2008年に以下の著作が出ている。
Marcus Meier: Die Schwarzenauer Neutäufer. Genese einer Gemeindebildung zwischen Pietismus und Täufertum (= Arbeiten zur Geschichte des Pietismus; Bd. 53), Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht 2008, 304 S., ISBN 978-3-525-55834-8, EUR 49,90
http://www.sehepunkte.de/2009/10/14375.html