聖礼典復興運動としての初期メソジズム
野村誠『ウェスレーの神学思想 18世紀英国民衆とメソジズム』白順社、1998年
第1章を読んでみた。ニーバーによれば、18世紀のイングランドでは、上流階級による理神論、敬虔主義、懐疑主義、合理主義が支配的で教会生活は停滞し、宗教的に疲労していた。(13頁)国教会は聖餐式も年に三回だけで良いと見なしていた。(15頁)他方社会的にも貧富の差が激しくなり、貧しい労働者は苦境に陥っていた。(14頁)
メソジズムは、このような民衆の宗教的要求が満たされない状況で、貧しい人々の心を捕らえたそうだ。ウェスレーやメソジズムは、聖餐式の復興運動だった。ボーマーによれば、国教会では年三回しか行われなかった聖餐式を、ウェスレーは年に少なくとも70〜90回執行していたそうだ。(18頁)
モラヴィア派が改新するまで聖餐式を慎むべきだと見なしたのに対し、ウェスレーは聖餐式は信仰を強める儀式であるだけでなく、罪人を改心させるための儀式だとも考えた。そのため彼は、まだ改心していない者も聖餐式に呼んだそうだ。(20-21頁)
ただし、ボーマーによれば、ウェスレーのこのような聖餐式重視の考えは、19世紀のメソジストとには受け継がれなかったそうだ。(22頁)
またウェスレーは、聖礼典と並び説教を同等に重要なものだと見なしたそうだ。彼にとって、言葉と聖礼典の両方が、神が人々に神の恵みを伝えるために定めた恵みの手段だった。(23頁)ただし、彼は、言葉も聖礼典もそれ自体は救う力を持っておらず、神のみが力の源であると見なしたそうだ。(24-25頁)
このようにこの本は、ウェスレーや初期メソジズムが、聖餐式やサクラメントの復興を行おうとしていたという側面に注目しているようだ。