ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

『キング・フォー・バーニング』は歴史物ではなく、ファンタジー(2)

私は、ミュンスター再洗礼派を扱ったドラマ『キング・フォー・バーニング』を見ている間、正直かなり複雑な心境でした。このドラマは、私の研究している対象を扱っているため、どうしても、事実関係の間違いや脚色が気になってしまって、楽しんで見ることができないからです。

事前にある程度脚色があることは予想はしていたのですが、このドラマは、その想像を遙かに超える、脚色、あるいは事実関係の無視を行っていました。それこそ、細かく指摘すれば、それほどキリがないほど、全編に渡って史実とかけ離れた描写が行われていました。

特に、出来事の順序が、滅茶苦茶になっていたのは、いくらなんでもやり過ぎだと思いました。たとえば、ヤン・ファン・ライデンが王になるのは、この映画の中では預言者ヤン・マティスが死んだ直後になっていますが、実際にはマティスの死後から何カ月も経った後のことです。

そして、実際にはマティスが死んだ1534年4月と王制が導入された1534年9月の間に一夫多妻制が始まったのですが、この映画では何故か1535年になってから一夫多妻制が導入されたことになっています。

また、この映画では、1535年にヤン・ファン・ライデンの一身上の都合のため、聖書や神学的著作などの焚書が行われたことになっていますが、実際にはまだヤン・マティスが生きていた1534年の3月に焚書が行われています。

つまり、このドラマでは、史実の面白そうなエピソードをかいつまんで、それを時系列関係なく再構成することで、ストーリーを作っています。そのため、個人的には、この映画は宣伝文句のように「実話に基づく」のではなく、実話に発想を得たファンタジーだと考えた方が良いと思いました。概説書をさらっと読めばわかるような、基本的な事実関係も正確に描かれていなかったので、製作者たちは、おそらく最初からこのドラマを史実に基づいて作ろうという気がなかったのだろうと思いました。