ミュンスター再洗礼派研究日誌

宗教改革の少数派である再洗礼派について紹介していきます。特に16世紀のミュンスターや低地地方の再洗礼派、17~18世紀のノイヴィートの宗教的寛容を研究中。

ドラマ中の非現実的描写(3)

また、この映画の問題は、非現実的な描写が余りにも多いところにもあります。たとえば、預言者ヤン・マティスが死んだ後、傭兵が市門の扉に彼の首を張り付けるというシーンがありますが、あれほど簡単に堀を超え、橋を渡り、扉まで来れるなら、ミュンスターはそれまでにとっくに落城しているはずです。実際には、ミュンスターは、二重の堀と土塁、市壁を張り巡らした堅固な要塞であり、市門には近づくことさえ容易ではありませんでした。

このドラマでは、ミュンスター占領の際にも、ミュンスター側が、市門の扉を開けっぱなしにして、何の抵抗もなく市を明け渡したような描写がされていますが、実際には、当然の事ながら当時市門の扉は閉められていましたし、傭兵と再洗礼派の間で激しい戦いが繰り広げられ、傭兵側にもかなり犠牲者が出ています。どうもこのドラマの作者たちは、戦争が、非常に牧歌的なものだと思っていたようで、攻める側も、守る側も、とても命を賭けているとは思えないような、やる気のない戦争をしていました。

他にも、苦労に苦労を重ね、ようやく捕らえたヤン・ファン・ライデンたち再洗礼派指導者を、鍵も掛かっていない部屋に放置しておくという場面もありました。もちろん、この部屋に鍵が掛かっていなかったのは、親友のセバスチアンが中に入り、ヤン・ファン・ライデンと話をする場面を成り立たせる必要があったからなのですが、敵の指導者に見張りも付けず、檻に入れられているとは言え、鍵も掛けない部屋にそのまま起きっぱなしにしておくというのは、非現実的にも程があります。

また、思わず頭を抱えるのがクライマックスです。捕まったヤン・ファン・ライデンが、広場で公衆の面前で拷問を受けているとき*1、苦しみ続けるヤンを見かねたセバスチアンが、処刑人を押しのけ、処刑台に上がり、ヤンをナイフで刺し、殺すという場面があります。この場面は、セバスチアンが、ヤンへの友情故に、彼を殺すという、深すぎる友情の逆説のようなものを描いた感動的な場面なのですが、明らかに製作者のやりすぎだと思います。

と言うのは、再洗礼派の指導者の処刑の際には、彼らの襲撃を警戒し、厳重な警備がされているはずなので、ある一個人が突然乱入し、処刑台に上がるなんてことはできるはずがありません。その前に警備の兵士に静止されるか、殺されているはずです。

しかも、さらに酷いことに、勝手に再洗礼派の王を殺してしまったセバスチアンは、その後台を降り、ペコリと頭を下げただけで、何もなかったかのようにその場を立ち去っていきます。あんな勝手なことをやっても、逮捕されもせず、群衆から石つぶてを投げられることもないというのは、どういうことなんでしょうか。

とにかく、この製作者は、ドラマ上の都合のためならば、非現実的で、ご都合主義的な描写も平気でやるので、ドラマ自体にリアリティーが全然ありません。このドラマは、別に普通の人にとっても、ツッコミの入れどころ満載のドラマだと思います。

*1:ちなみに、この拷問描写は非常に控えめですが、ドイツでは日本と違ってテレビでの暴力描写に対して非常に厳しいので、テレビドラマで残酷な描写をするのは不可能です